つい先日、発売されたばかりの電動ブローバック・フルオートのM9A1を手に入れましたので紹介いたします。 2011年の模型ホビーショーで発表された電動ブローバック最新作は、アメリカ軍採用M9ピストルの新型改良モデルであるM9A1です。 パッケージは今年になってリニューアルされたデザインに準じています。小さくパッケージにも書いてありますがM9A1は「日本製」となっています。同じ電ブロフルオートのP30やMac11は台湾製だったので少し意外でしたね。 パッケージ内容はM9A1、マズルキャップ、クリーニングロッド、少量のBB弾(0.12g)、取説類となっています。電池は付属していないので別途用意する必要があります。 今回の電ブロM9A1はブラックとシルバーの2種類発売されました。店頭で少し悩みましたが私はブラックを選択してみました。全体的につや消し塗装でスライドとフレームの塗料か塗り方が異なるのでしょうか?僅かに質感も違うのも再現なんでしょうね。 同じく電ブロのM92Fと比べてみました。やはり大きくM92Fとの変更点はフレームのアンダーマウントレイルですね。アンダーマウントを装備したことでウエポンライトの装着が可能となり、ライト等を装着した際に支障にならないようにトリガーガード前面の形状も変更されています。 10歳以上用のハンドガンでレイルを装備しているモデルは貴重な存在ですね。このアンダーマウントレイルは20mmレイル対応の別売りCQフラッシュなどが装着可能です。 スライド/フレームの刻印はオリジナルのものですが、本物の雰囲気を上手く再現していると思います。 フレームは左右張り合せのモナカ構造。ちょっと剛性的に不安ではありますが内部に電動システムを搭載する電ブロは構造上、仕方がないのかもしれないですね。 トリガーガードのグリップ側の付け根には電ブロシリーズではお馴染みのセフティボタンが設置されており。正しくグリップを持ってセフティを押さなとトリガーを引いても弾が発射されない仕組みです。 グリップと前面、後面の滑り止めはM92Fから変更されギザギザのチェッカータイプに変更されています。 グリップパネル、スライドストップレバー(スライドストップの機能はありません)はフレームと別パーツ。それとパネルの六角穴ビスも別パーツですが、これはビス風でパネルを固定していない飾りとなっています。それ以外のマガジンキャッチやテイクダウンレバー、スライドのセフティにハンマーはモールドとなっていました。 スライドは一体成型ですね。サイト部分にはホワイトドットは無いので自分でドットを塗ってみるのも良さそうです。 「TOKYO MARUI…..」云々の刻印を目立つスライドに入れる必要があったのか微妙な所だと思いますが、その下のマウントレイル部分の「マニュアルを読め」的な刻印は実物にあるものを再現しているので「TOKYO MARUI…..」云々の刻印も本物っぽく見えてしまうのが不思議。 さて画像の黄矢印と赤矢印の真上にあるテイクダウンラッチがトイガンオリジナルのセミオート/フルオートを切替用のセレクター。黄矢印方向にスライドさせるとセミオート、赤矢印方向だとフルオートに切り替えられます。 スライドがブローバックするストロークは約2㎝程度となっています。ここで嬉しい発見!プラスチックパーツが多い電ブロですが、リコイルスプリングガイドが金属製でしたよ♪ 電池はこれまでの電ブロと同様にグリップ底のカバーを開けて装着します。使用する電池は単4型アルカリ電池4本です。取説や電池スペースに貼られているシールにもありますが、端子の向きに注意しながら入れて下さいね。 マガジンはいつも通りの細身のバナナ型マガジン。装填されているBB弾が透けて見えるシースルー仕様!装弾数は15発なのでフルオートだと物足りなく感じるかもしれません。このマガジンは電ブロM92Fと共用となっているので既にM92Fをお持ちになっている場合はスペアマガジンとして使用できるのは良いですよね。 いざセミオートで実射してみるとパコッパコっと電ブロ独特の作動音と共にスライドがブローバックしてBB弾が発射されていきます。セレクターをフルオートに切り替えてトリガーを引くとパッパッパッと弾幕を張ることが出来ます。発射サイクルは1秒間に約5.5発(電池の状態で多少変化します)と3秒もかからない間に撃ち切ってしまう計算ですね。初速は0.12gで平均42.4m/sです。そのまま慣らし撃ちで45発目を撃ち終った後に異変が起きました!?弾を込めたマガジンを再び装填してトリガーを引いてもうんともすんとも動かなくなってしまいました(汗)電池を新しいものに交換してみても全然ダメで、更にはM9A1の内部からカラカラという微かな音が聞こえて冷や汗。ここは覚悟を決めて分解してみる事にしました。 買ってきた初日にバラバラです(泣) 分解してみた結果、内部でカラカラ音を立てていたのはトリガーの動きを通電スイッチに伝達するパーツ(青矢印のパーツ)と、その伝達パーツ用のスプリングが衝撃か何かで外れてスイッチが押されていなかったのが原因でした。外れていたパーツを元に戻し再び組み直してみると、何とか元のように作動してくれたの一安心しましたが、やはり電ブロは他方で言われている通り繊細でちょっとした衝撃などでも不具合が起きやすいモデルというのを痛感しましたね。 ※当方は過去に何度か電ブロの分解を行った経験があったので分解修理をしましたが、分解してしまうとメーカー修理が受けられなくなってしまいます。故障や破損してしまった場合は購入したお店やメーカーにお問い合わせする事を強くオススメいたします。 電動ブローバック・フルオートの第6弾となるM9A1はシリーズの特徴を受け継ぎながらもアンダーマウントレイルを装備した改良型M9として登場しました。ブローバックする電動ガンという楽しみ方のほかにもオプションパーツを取り付けて自分らしく飾ることが出来るようになった点は素晴らしいと思います。ただし、内部の電動ブローバックシステムは繊細な構造から不具合も起きやすく、他のモデル以上に取り扱い方は注意を持って使用したほうが良さそうですね(^_^;) 2/7 Youtube動画を追加しました。 定価:3980円(税別) 全長:約219mm 重量:約323g(電池込) その他:固定ホップアップシステム搭載

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犬神三姉妹の長女、松子未亡人。 彼女は何故復員の迎えにいった際、静馬を自身の息子・佐清と間違ってしまったのか。 佐清と静馬は共に佐兵衛の美貌と性格をおおきく受け継いでいた。そして静馬は戦場で顔に大きな怪我をおっており、識別が不可能であった。 それにしても、最愛の一人息子を間違えるだろうか。 普通ではありえないであろう。 だが、松子未亡人は普通ではなかった。 それは、結局は、私はやはり、佐兵衛翁の怨念、正確にはあまりにも大きな想念の中にすでにあったのだと想う。つまり、すでにみえない力がはたらいていたのである・・・・・。 松子未亡人の長男、ひとり息子の佐清は戦争にとられていた。そんな中、佐兵衛翁はその生涯を終える。犬神財閥の莫大なる財産と事業の相続、その行方は佐兵衛翁の遺言状になかにあった。そして、その遺言状は佐清がもどらなければ開封されない。 松子未亡人は焦った。開封されないこともそうだが、佐清が亡きものとなっていれば、おそらく財産はふたりの妹のものとなってしまう。遺言状には何とかかれているのか。 中身が気になり仕方がない松子は、遺言状を保管している犬神家の顧問弁護士・古館の部下である若林を買収し遺言状の中身を知る。松子の衝撃ははかりしれないものであったであろう。珠世の正体を知らない松子は、つまり佐兵衛翁の想念に気づかない松子は、佐兵衛翁の想念の一部である怨念だけを大きく感じとった。なんという私たち三姉妹への仕打ちであろうかと・・・・・。 そして、内容を知る前よりもより大きな焦りを感じ、そして強大なる恐怖と怒りを感じた。 松子とってはその状況は最悪であった。このまま佐清が戻らなければ、全財産・全事業は野々村珠世のものに、佐兵衛翁の恩人である野々宮家の孫に独り占めされてしまう。いや、松子はおそらくだが、珠世と佐清が相思相愛であったことは同居していたことからも、自身の息子であることからも気づいていたはずである。原作ではきちんと松子未亡人の言葉がある。>あなたがそのような無事な姿でかえてくると知っていたら、母さんはあんな馬鹿なことをするんじゃなかった。する必要のなかったのね。だって珠世さんは、きっとあなたを選ぶにちがいないんですもの。 だが佐清がいなければ、珠世は妹達の息子のどちらかと一緒になり財産は、事実上どちらかの妹のものとなる。また、珠世が相続権を失った場合でも、佐清がいなければ自身のもとへは一銭もはいらない。それどころか、一番大きな額をあの女工の息子・青沼静馬にもっていかれてしまう。 映画ではたしか、その詳細が描かれないが佐清が戻らない場合、佐清の相続分は犬神奉公会へ寄付されると遺言状に記述されている。 とにかく、松子未亡人は佐清の復員を純真な親の想い以上のものを含んで待ち望んだはずである。 そして、佐兵衛翁の遺言状は松子未亡人にある決意をさせたのである。父の非情なまでの仕打ち、怨念への復讐を・・・・・。 ここでひとつ、想うことがある。松子の佐兵衛翁の怨念の呪縛、見えない力は本当に遺言状の内容をしってからなのか・・・・。 松子未亡人が、遺言状の中身をしりたくておそらく若林を買収して内容をしった。そして、あまりの恐ろしい内容に不吉な予感を感じた若林が金田一耕助を呼び寄せる。この事件は、最後に佐清が母の罪をかぶろうとする。当然、松子はその段になれば自身の犯行だと告白するであろう。だが、静馬の事後共犯の事実を知らず、死体の切断や移動は松子にはできない。戦争で一度死んだ命と、そして最後に珠世に別れを告げにゆき、犬神の家はすてろと言い放った佐清の決断も堅いはずである。警察自体も佐清を犯人とみていた。さらに時代背景もあり、到底、警察だけでは、警察の通り一遍の捜査だけでは、こうもすんなり事実解明はできなかったであろう。堅い決意の元、珠世に別れを告げ、自ら殺人の告白状を書き、松子の身代わりになると決めた佐清。彼も全ての真実を見抜いた金田一耕助でなければ、ああも簡単に泣き崩れなかったであろう・・・。 つまり、金田一耕助がいたからこそ、真実を見抜いた彼がいたからこそ、すべての事実があきらかになり、佐清は事実通りの軽い刑となり、珠世と一緒になることができた。 遺言状の内容をしる前に、遺言状の存在自体がすでに松子未亡人を動かしていた・・・、いや・・・・・。まあ、とにかく、松子は内容をしり、自身の感情を固めた。殺人を実行することを決意した。 その歪んだ感情が松子未亡人を正常ではなくさせ、最愛の息子を判別できなかった大きな要因となった・・・・・。そして、その佐清の顔の怪我、その惨い顔がより松子の感情を大きく揺さぶった・・・。 この顔でも、珠世は佐清を選ぶだろうか・・・・・・・・・・そして、仮に偽物でも構わない、このまま財産を手に入れられればとまでその歪んだ感情は・・・・・・。 事実、松子未亡人は佐清の手形合わせを一度頑なに拒んでいる。彼女の中にもひょっとして・・・という想いがあったのである。 松子婦人は、佐兵衛翁の想いどおりにはさせないと心に決めた。珠世の独り占めや、静馬には一銭も渡さない。必ず佐清と一緒にさせる。松子未亡人は珠世と佐清が相思相愛であることは分かっていた、しかし、佐清の顔、そして二人の孫の行動を考えると亡き者にするしかない。なんとしても珠世に佐清を選ばせ、全財産・事業を手に入れる。それが松子未亡人の望みであると同時に、父・佐兵衛翁への松子婦人の復讐であった。 松子はその自身の望み通り、想い通りに、実行をする。父への復讐を果たす。 が、それは復讐とはなりえなかった・・・・・・・。 復讐どころか、それは・・・・・・・・・・ 自身の復讐心さえも、怨念にとりつかれたゆえであった松子、その正常でなかった彼女故、静馬らの事後処理を不思議と思いつつも、とにかく自身がやりきるまではと、佐竹・佐智を亡き者にし、珠世と佐清を一緒にさせるまではとその一心であったのであろう・・・・。そして、それが佐兵衛翁の想念そのものであったのである。 ただひとつ、これは映画では描写されない原作にあることだが、松子未亡人は唯一の父への復讐を果たす。 それは、父の想念を自らの手でなしとげてしまった松子が、その怨念から解き放たれ、犬神家の長女として望んだことであり、二人の妹を想いやったことであった。 つまり、三姉妹がその後も恨みと葛藤の歪んだ感情を持ち続けて生きてゆくことへのただ一つの緩和剤となった。 次女竹子の娘・小夜子と三女の息子・佐智はつきあっていた。そして、小夜子は佐智の子をおなかに宿していた。松子は、その生まれてくる小夜子の子に、つまり二人の妹・竹子と梅子の孫に財産の半分を与えてくれるように、そして男の子なら事業にも参加させてくれるように珠世に願いでる。そして、その松子の願いを珠世は当然受け入れる。 珠世と佐清が一緒になり、珠世が財産を全て相続し、三姉妹にはその後、互いに憎しみと葛藤が残り続ける歪んだ感情のまま生きてゆくという自己崩壊を望んだ佐兵衛翁の想念への唯一の抵抗、松子が妹達にみせた長女としての思いやり、いや二人の憎しみと葛藤を和らげるせめてもの罪ほろぼし、そう、彼女の復讐となったのである・・・・・。 結局は、佐兵衛翁の野々宮珠世への愛ゆえに、犠牲になったといえる三姉妹。中でも長女・松子はまさしく父の想念を実現する道具となってしまった。彼女は結局、生まれながらにして怨念の対象であり、呪縛の中で長女としての役目をおってしまった。そんな彼女に同情し、自身でけじめを、彼女の望む最期をむかえさせてやった金田一耕助。その彼のためにも、松子未亡人の復讐と、せめてこう想いたい。 なぜなら、それが彼女の遺言となったのだから・・・・。 私はこの描写は映画でもいれてほしかったと原作を読んだ時に想ったが、やはりそれはできなかったのであろう。私が想うに、市川版と原作では松子未亡人の印象が違う。原作のがより強い人物であると感じる。決して誰の言うことも聞かない、珠世の正体を知っても人前で取り乱すことなどしない人物。それゆえに、原作ではあの描写が生きる。だが、市川版では・・・・。そして、何よりも市川版では、佐兵衛翁の至上の愛を核としている。その為、佐兵衛翁の想念がすべてかなえられる描き方が最も効果的ととなる。 そう、あの金田一耕助の言葉が生きてくるのである・・・・。 犬神家の一族 [DVD]角川映画 2000-08-25

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 みなさんこんにちわMr.Tetsuoです。セミの声も聞こえだし、7月も半ばを過ぎました。今週は暑さも一息・・・夜も涼しく昼間も30度くらいです。先週の酷暑に比べれば30度は涼しく感じます。今日もどんより曇り空・・・夕方からは雨の予報です。今回はイベント等にひっぱりだこで復活の相次ぐ蒸気機関車に比べあまり語られる事がない電機機関車とディーゼル機関車の動態保存車について2回に分けて語りたいと思います。  1972年に鉄道100周年を記念して、鳴り物入りで全機の動態保存を目標にオープンした梅小路機関車館の保存機関車も、保守管理の都合から相次いで静態保存へ転換され、一時は動態保存が絶滅の危機にさらされた蒸気機関車も、今ではJR東日本のように熱心に蒸気機関車を復活させる会社もあり、C6120号機、C58298号機のように再度静態保存から動態保存に復活するものまで表れる盛況ぶりです。  対して電機機関車やディーゼル機関車はその歴史的な価値は蒸気機関車に劣る事がないにもかかわらず、蒸気機関車より人気が劣る事や比較的歴史が浅い事などから、廃車後は解体されてしまうケースが多く、保存されてもほとんどが静態保存です。  かつて全国を闊歩した国鉄型電気機関車も、客車列車の激減で今ではJR貨物に所属して貨物列車牽引として細々と生き残っているのが現状です。   JR貨物以外の旅客会社であるJRグループではブルーとレインの相次ぐ廃止など客車牽引という需要が時代とともに減っていき今や風前の灯です。  JR東海・四国・九州では既に電気機関車の車籍はありません。(四国は非電化の為、JR発足当初から電機機関車はありませんでした)  今回語るのは国鉄時代に登場しJR初期にかけて活躍した名機で、あくまでも保存を目的としている機関車に絞って語りたいと思います。  EF58   かつては全国で見られた名機EF58も寄る年波には勝てず全機が既に本線走行から引退しました。一時は61号機、89号機、122号機、150号機、157号機の計5両が動態保存されてイベント列車などで活躍しましたが、それも今は昔・・・。  JR東日本の所属だった89号機は鉄道博物館で静態保存、JR東海の122号機は保存されずよもやの解体、同じ157号機は一度廃車され復活という軌跡を果たしトロッコファミリー号などで活躍しましたが、引退し今はリニア・鉄道博物館で静態保存されています。  JR西日本所属の150号機は一時のジョイフルトレインブームに乗って最後まで活躍したEF58となりましたが、2009年を最後に本線での自力走行実績がないまま2011年10月31日付で遂に車籍抹消になりました。その後はJR西日本宮原運転所に保管されていますが、このほど梅小路機関車館に隣接し建設の決まった鉄道博物館(仮称)へ静態保存されるのが濃厚だと思われます。  厳密には今は走らないので、動態保存といえるのかわかりませんが、唯一車籍を残しているのが元・お召し機61号機です。    団体専用列車として12系を牽引する61号機。群馬八幡 – 安中間にて。 (写真:Wikipediaより)  2007年に後継のお召し列車用のE655系が誕生したことと、2008年に台枠に金属疲労による亀裂が入っていることが発見されたため、動態運転から事実上引退しました。  しかし2012年現在も保留車として田端運転所に車籍を残したまま東京総合車両センター(旧・大井工場)内のお召し車両保管庫にて、歴代のお召し列車用客車とともに厳重に保管されていて、同センターの一般公開時には屋外展示されることもあります。  公園などに保存されている古い蒸気機関車を復活させる高度な技術がJR東日本のエンジニアにはあるのですから、このEF5861号機は動態保存の終了原因が台車の亀裂という事ですが、代替部品を新たに鋳造する(代替部品が既にない場合に蒸気機関車ではよく行われている)などしてなんとか修理出来ないものでしょうか  蒸気機関車で出来て、電機機関車では出来ないのが自分にはとても不思議です。かつてJR東海のED18やJR東日本のEF55も一時復活・動態保存されましたが、その後故障などがきっかけでそのまま引退に追い込まれています。  車籍を有して博物館入もしていないという現状を考えると、JR東日本でも動態復活に含みを持たせているのではと淡い期待をよせています。  将来再度EF5861号機が走る姿をぜひ見てみたいと思います。  EF60  なんとなく、いつの間にか動態保存機になった・・・。  そんな印象がEF6019号機でしょう。仲間がどんどん廃車・解体されていく中でしぶとく生き残った幸運な電機機関車です。  EF6019号機は1962年8月3日付けで汽車製造・東洋電機で製造され、新鶴見機関区に配置。浜松機関区(現・浜松運輸区)を経て1981年7月に高崎第二機関区に転入されました。  その後1986年にジョイフルトレイン「お座敷客車・やすらぎ」の牽引指定機として客車に合わせた白地に青・赤の細帯の塗装に変更されたことから、1987年の分割民営化時にはJR東日本に承継され高崎運転所(現・高崎車両センター高崎支所)所属となりました。このやすらぎ牽引機になった運命的な出来事が、今も続く19号機の活躍のきっかけになったのは間違いありません。    “やすらぎ”塗色時代のEF6019  その後1988年は「アメリカントレイン」の牽引指定機となり、客車に合わせた星条旗風の塗装に変更されたましたが、翌1989年の運転終了後は「やすらぎ」塗装に再度戻されました。  (Wikipediaより抜粋)  一時“アメリカントレイン”塗装になったEF6019  2001年の「やすらぎ」廃車後は、一緒に廃車されるかと思いきや、やすらぎ色のままその後も現役を続け、2007年に実施された全般検査でデジタル無線搭載改造とともになんと国鉄直流機関車標準色に戻されました。  “やすらぎ”色から懐かしい国鉄直流機標準塗色に奇跡の復帰を果たしたEF6019(まだヘッドライトは2灯時代)  (写真:3枚ともWikipediaより)  さらに2010年1月には第2エンド側の前照灯が通称ブタ鼻と呼ばれたシールドビーム2灯からこの車両本来の白熱バルブ式の大型1灯へ戻され、その後1エンド側前灯も大型1灯へ戻されて、折からの復活蒸気機関車ブームに乗って牽引のイベント列車での補機や工臨などで今も活躍中です。  EF63   動態保存電機機関車の中において最大両数存在するのがEF63です。  EF63は信越本線・碓氷峠において峠の機関車専用機として合計25機が活躍しましたが、長野新幹線の開業で横川-軽井沢間が廃止され、全機が引退しました。  現在は11・12・24・25号機の4機が碓氷峠鉄道文化むら内で動態保存されています。  画期的なのはその機関車を実際に見学者が運転体験出来る事です。

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弓道では「十文字」と「平行」と言う言葉は日常の弓道談義する中で数多く使われている。射法・射技の解説の中で、日頃から教わる側も教える側もいつも耳にしている言葉であるから、その単語が意味する重要性がだんだんと希薄になっている様である。 弓道での基本の姿勢は「三重十文字」と称して、身体の中心軸を縦の線として、その縦線に対して横線となる両肩・両腰・両足の三つの線が、垂直な縦線に直角に交わり、それぞれが平行で上から見て一枚に重なる姿勢が立った場合の基本姿勢である。 特に体配で動作をする時に注意をはらっていなければならないのは、両肩と両腰の横線二つが常時平行で一枚に重なっていることが、所作をするうえで動作が崩れない姿勢となって、その所作の姿は美しく拝見している者を魅了させる。 この二つの横線が一枚に重ならない動作は、礼と揖(ゆう)を行う時だけで、他の動作では両肩と両腰の二つの横線はいつも水平で一枚に重なっていて、不変でなければならない。特に、立った姿勢から坐る動作と、坐してから立ち上がる動作において、肩の線が腰の線よりも前後にぶれる様であると、縦軸もぶれてよろしくない所作となるから、意識的に肩の位置に注意をはらって稽古をする必要がある。 「三重十文字」については、弓道教本第一巻で117頁に弓道八節「会の項目」の中で、『両足底―腰―両肩が、上方から見たとき正しく一枚に重なり、脊柱、項が上方に伸び、下半身を安定させるとともに上半身を伸ばす。これを「三重十文字」と称し、縦線を構成する基本条件とされている。』と記載されていて、「…上方から見たとき正しく一枚に重なり、…」の正しくとは?で、両足底―腰―両肩のどの位置なのか?で、非常にアバウトに表記されている。 両足底―腰―両肩と単純に言っても、その横腺が腰のどの位置になるのか、腰の範囲は広いから曖昧である。肩のどの位置を腰のどの位置に重ねるのか明確でない。横線となる位置が身体の厚みのどの場所を表すのか不明であるから、その横線のちょっとしたズレが原因で正しい姿勢が崩れて、体幹の力使いにも連動してバランスを崩すことになる。 両足の横線とは、足の親指先を結んだ線のことである。重心は土踏まずより前方の拇指球であるが横線ではない、まして踵を結ぶ腺が横線となることは決して有ってはならない。では、腰と肩の横線はどの場所を基準にした腺であるのかを実体験から得たものを述べる。 腰骨は腸を包んでいる骨で、その腰骨の前方にある左右の上前腸骨棘(私は前腸骨の先端と称している)という部位の突起を結んだ線を腰の横線と定め。肩の横線は、肩を上方から見て前方の先端(左右の前肩)を結んだ線が腰の横線である。と、私流で定めている。だが実際の肩の横線は、両肩を上から見て真横にあたる肩の中央が実体となる横線であるのだが、前肩先を横線として両肩を前方に出すイメージ(意識)で腰線の上に重ねて動作することの方が基本姿勢を保つことができる。この意識で動作すると、体配ならびに射技において生気体を常に崩さないでいられるから、私の場合はそのような意識で稽古している。 だが、肩の線を腰の線に重ねて、それを維持しながら坐ったり立ったりする所作は、それに必要な筋肉の筋力が弱いと、体力的に厳しくて辛い動作である。正しい姿勢で坐ったり立ったりするのが辛い、だからと言って立射でばかり稽古していては正しい姿勢が身につかない。また、楽をしていては必要な筋力が増強されることも無い。 腰が痛い、膝が痛い、足が痛い、辛いからといった言い訳で坐射を拒んでいては、必要な筋肉は鍛えられない。正坐や跪坐や蹲踞の姿勢も同じことで、練習を重ねる努力を積み上げていなければ楽な姿勢とはならない。足腰と体幹の筋肉が鍛えられてこそ体力が向上する。短期間で筋力が低下するのは早い、筋力を増加させるには倍以上の長期間を要する。 趣味でやっている弓道だから楽しくなければやっている意味がない、などと言って苦行を避けているのは、楽をしているだけが楽しみとなっているのではないか?と苦慮する。真の楽しみは、正しい姿勢が常に可能となる体力が維持されることである。稽古の方法に矢数稽古があるが、これは入場から退場までの体配を省略して、立射で矢数を増やすことでは無い。稽古の時間を増やして体力と精神力を鍛えようという意味である。 「十文字」の教えには、「三重十文字」のほかに「五重十文字」と言う教えがある。「三重」には一枚に重ねるという意味合いがあるが、「五重」には重ねるという意味合いは無い。五箇所のそれぞれが十文字(直角)に交わるという教えであるが、射形において「三重十文字」が堅持されていることが前提条件で可能となる教えである。 五箇所の十文字とは、①弓と矢 ②弓と弓手の手の内 ③妻手の拇指の腹と弦 ④胸の中筋と両肩を結ぶ線 ⑤首筋と矢 の五箇所で、それぞれでの力の働きが十文字になる射技での教えであって、外観上の形で五箇所が全て直角になることではない。 外見で十文字になるのは、④胸の中筋と両肩を結ぶ線 ⑤首筋と矢 の二箇所である。この十文字は、使用している弓の強さと矢の重さとのバランスが取れている事で、会で箆(の・シャフト)が水平であるときに、矢が的の高さに到達して的中することが条件である。従って、弓力と矢の重量の関係には、弓の強さ(kg)数+定数11=矢の重さ(g)の式でバランスが取れていると言われている。 ①弓と矢の十文字は、外観では直角にはならない。矢を籐頭の位置に定めて矢筈が弦に直角になる所から矢の太さ一本分を上に筈を番える。打起しから会まで移行するときは、常に箆(矢)が肩線と平行に移動し、ほぼ水平(水流れ)になる様に引分けられるように、左右の力のバランスを背中の筋力(広背筋と脊柱起立筋)を使って取る。左右の手先でバランスを取る意識を使ってはいけない。 ②弓と弓手の手の内の十文字は、弓構えから会と残身まで弓の軸と手の内が十文字になることである。弓構えで手の内を整える際に、虎口を外竹に押し当てるがその時に親指が矢に対して120度の角度をなすように整える。(弓手と妻手の手の内は左右対称の角度となるように整える)円相に構えた手首の角度をそのままに背中を前方に押し出し掬い上げるようにして、右肘が主体となって左腕を引き上げ、矢が肩線と並行で水平(水流れ)となるように打起こす。打起こす際に手の内の形を崩さずに手首が下方向へ折れながら弓を垂直に立てて行くが、弓を握る力が働かないようにする。打起しの高さは、両肩根が上がらない位置の45度とする。大三へ移行する際も弓を握る力を働かせることなく、打起した背中の力を使いつつ、両肩根を前方斜め上に開きながら弓手優先のリードで左肘と手首の関節を開きつつ腕を伸張させる。その移行の途中で整えた手の内が崩さないよう手の内を柔らかくして、虎口を軸受けとして弓を受け、弓の垂直を保ちながら回転し、矢は常に肩線と並行で水平(水流れ)となるように移行する。大三の基本は、両手先の動きだけできめるものではなく、背中を使った両腕の張りできめるもので、その張りを腰にも響かせて項(うなじ)を伸ばし、縦腺も伸びてゆくものであるから大三は身体全体の張りできめ、息を吐く間合いでその張りを緩めてはならない。更に左右均等に引き分けるのであるが、左腕を主導に引き分ける心持が強い右手と丁度バランスがとれて左右均等となり会にいたる。会での手の内は、弓と十文字に外見ではならないが、その手の内の働きは垂直に対して十文字になる。 ③妻手の拇指の腹と弦との十文字は、弓構えの取懸けで堅帽子の拇指(帽子の親指)の腹皮を弦の中仕掛けに接しながら滑らすように、弦に対して十文字(直角)に差し込むのだが、肩の横線と平行にするのでは無く、前方に30度弱の角度をつけて取懸けるのである。打起しから会まで拇指の水平を保持するのだが、会で弦との十文字は弦が垂直であると仮定しての十文字で、引き分けるにしたがって弦は当然弦枕で折れ曲がる。取懸けたときの30度弱の角度は、拇指を意識的に的方向へ向けてはならないのだが、引分けで大三に移行するときに弽(ゆがけ)を弦に預けて引かれるにまかせることで角度が若干狭くなる。弽を弦に引かせて妻手の肘にその圧力を受ける。その時に前腕は少しの弧をなしていて、手首の関節を前方に押しつつ肘を張り上げながら大三に移行するが、移行させる際の右肘先は的方向にも裏的方向にも動かすことなく肘の位置は大三の時よりも少し高くなる。大三での右手首の位置は額(ひたい)の側面から一拳(こぶし)ほど前にある位置にある。大三での前腕の張りは、手首関節を上下と右に折り曲げるのは不可で、弦溝(弦枕)に弦の下弦を感じとるのが良い。大三は外見上では形が決まって止まっているようであるが、内面では気力が流れて動く勢いをもっているものである。 尚、打起しと引分けは、手先のことばかりに気をとらわれて、目で見る視覚からの情報で平行と直角を作ろうとするのでは無く。常に体幹の筋力を使う意識で、力使いの感覚を水が流れるような働きにして、垂直(縦線)と水平(横線)とを身体で感じ取りながら、左右上下にバランス良く引き分けることが重要である。 以上の射技解説は、養心の我流であって、他人に通用するかは定かではないことを申し添える。

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平成22年1月24日[問 13] アクリル酸の性状について、誤っているものはどれか。    1 比重が水より重い。          2 強い腐食性の有機酸である。  3 非水溶性の液体である。         4 蒸気比重が空気より重い。  5 無色透明の液体である。  平成26年1月18日東京都[問 26] アクリル酸の性質について、誤っているものはどれか。     1 無色透明の液体である。              2 引火点は20℃より高い。  3 重合体のポリアクリル酸になったとき、非常に爆発性が高くなる。  4 酸化性物質が混入すると発火の危険性がある。  5 エチルアルコールやジエチルエーテルによく溶ける。       平成29年後期②午後徳島県、平成28年後期②徳島県[問 2 7 ] アクリル酸の性状について、次のうち誤っているものはどれか。     1  酢酸のように刺激臭のある無色の液体である。   2  水やエーテルに溶ける。  3  蒸気を吸入すると粘膜がおかされ、気管支炎、肺炎などを起こし、液体に触れると炎症   を起こす。  4  重合しやすいので、市販されているものには重合防止剤が含まれている。  5  重合しやすいが、重合熱は極めて小さいので、発火・爆発のおそれはない。 平成27年前期徳島県[問 35] アクリル酸の性質について、誤っているものはどれか。       1 無色透明の液体である。             2 引火点は20℃より高い。   3 重合禁止剤が添付されないと反応し、発火する危険がある。  4 酸化性物質との接触により発火することがある。   5 エタノールやジエチルエーテルに溶けない。   平成27年11月14日香川県[問 36] アクリル酸の性状について、次のうち誤っているものはどれか。   1 無色透明の液体である。                    2 水に極めて溶けない。  3 重合禁止剤が添加されていないと反応し、火災が起こす危険がある。  4 50~55℃で、引火の危険性がある。   5 腐食性がある。                         平成27年後期②午後徳島県[問 4 7 ] アクリル酸の貯蔵、取扱における注意事項として、誤っているものはどれか。

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シーザシーの16 はトーセンラー産駒。ディープインパクトの孫ということになります。大竹厩舎で価格は4万円。先ほどスサーナトウショウの16について書きましたが 、あの馬が西の秘密兵器なら、本馬は東の秘密兵器です。 今年は、気になる馬が2月生まれなのが目立つのですけど、シーザシーの16も2月のやや早生まれ。それでも測尺的には十分ですね。 デビュー時には470~480キロくらいまで成長してくれるのではないでしょうか。 馬体については、特にイイ!という訳ではありませんが4万円なら十分に出資に至るものだと思います。動画では、ちょっと落ち着き過ぎている感じもしました。元気が無いのか、或いは性格が良く出来た馬なのか。 気になるのは母は1戦して引退。その初仔も二番仔もまともに競馬をしていません。3番仔は初の牡馬として本馬が出た訳ですが、母の影響を受けていれば、デビューすることが出来るのか怪しいところかもです。 ・・・なので、きっとお安いのでしょうね。 カタログのコメントでは、早期始動の文字も書かれていますが、本来なら来年春頃までは様子を見ないといけない馬だと思うのです。とはいえ、そんな取りきめ事なんて自分の心の中でしか発動できませんから、結局のところは直ぐに売れてしまう気がします。 ならば1次から抑えるべきですよね。少なくても、デビューまでは進めることが出来る体と脚だと思えるのです。初の牡馬である本馬が、これまでの悪しき宿命を断ち切ることができるのか、或いは母や姉と同じ道を歩むのか。 自分は、このシーザシーの16に賭けてみたいのですが牧場での本馬の雰囲気等の情報が、来週末にでもどこかのブログにあがっていれば、とっても嬉しいですね~。  

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今回は初のポリカボディに挑戦です。キットはこちらのバックブレーダーです。 リアルミニ四駆はなかなか手に入らないので、こちらで製作しました。 後から分かったのですが、こちらは旧キットで再販分とステッカー等の違いがありました。次の記事で、再販キットでの製作したものを載せます。 それでは早速製作工程です。 ①表にマスキングをして、ステッカーの位置を決めます。 ②表のシールをガイドにしながら、裏から反転させたマスキングを貼ります。 凹凸があるところは、マスキングゾルで対応します。 ③表面に色がつかない様に、ラップで保護をします。※画像とり忘れました新キットは最初から保護フィルムが貼ってあるので、この作業はいりません 下が新キットです。 ④本体色の塗装に移る前に、今回ポリカ用の塗料を使用しないので「ポリパーツ用下地のクリアー」を吹きます。このようにしないと、いつも使用しているラッカー塗料がうまく乗りません。 ⑤下地塗装後、本体色のガンメタル+ブラックの色を塗装します。その後シルバー部分のマスキングを剥がし、シルバーを塗装します。いつもと手順が逆ですね ⑥続いて、すべてのマスキングを剥がします。 ステッカー貼り付け部分が窓のようになりました。 ⑦裏からステッカーを貼っていきます。 裏からステッカーを貼っているので、もちろんステッカーの余白や段差はありません。 ⑧ライト部分はキラキラテープを使用しています。 ⑨最後にボディーを切り出して完成です。この作業が意外と大変でした 下記完成ギャラリーです。 シャーシに被せるとこんな感じです。 製作したいマシンでしたが、ポリカボディということでずっと製作に踏み切れていなかったマシーンです。ポリカボディなので、エッジが丸かったり、ウィングが下気味というのはありますが、艶は最高です新キットはさらにもっと艶々でした

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川越の喜多院・中院・三芳野神社には梅の木があり、1月から3月にかけて綺麗な梅の花が咲きます。 星野山無量寿寺 喜多院川越の観光名所で別名『川越大師』と呼ばれています。境内には、数多くの重要文化財があります。 天台宗別格本山 中院手入れが行き届いた庭は、趣があり静かです。河越茶発祥の地・島崎藤村所縁の地でもあります。 三芳野神社童謡『とうりゃんせ』の発祥の地と伝えられています。近くには、川越城 本丸御殿があります。 運がいいと、梅の花の蜜を吸いにきたメジロを見ることができます。 川越の神社仏閣で咲く梅の花の一覧です。喜多院の梅へ中院の梅へ三芳野神社の梅へ成田山川越別院の梅へ川越八幡宮の梅へ天然寺の梅へ菅原神社(南大塚)の梅へ西福寺の梅へ常楽寺の梅へ 川のほとりに咲いた早咲きの梅です。久保川の梅へ こちらは、蝋梅です。妙善寺の蝋梅へ天然寺の蝋梅へ常楽寺の蝋梅へ 川越市外の梅の名所です。大宮第二公園 梅まつり(さいたま市)へ 川越 観光ブログTOPへ

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Hモデル&AV出演体験告白 ヌードモデルしていて濡れて仕方なかった過去ログ[3]http://www.2219sv1.net/bbs04/joyful.cgi?mode=past[2488] ヌードモデル ゆみ 投稿日:2010/03/19 (金) 18:10 この前大学生が募集していた、ヌードモデルに友達と行ってきました。途中から、若い男女の前で裸を晒している事に興奮して濡れまくり、立っている時は内腿から垂らし、座っていた椅子もビショビショになってしまいました。   女の子がヒソヒソと話をしていたりしていたのは、分かったのですが、それでも恥ずかしいのを我慢していると、男の子からは「なんか、やりたくなってきたな」とか「拭いてあげようかな」などとこちらに聞こえるように、からかいとも取れる声が聞こえてきました。   すると、女の子の1人が「集中出来ないから拭いてきてくれませんか?」と言われてしまい、私は慌てて「はい」と答えながらトイレに行き、入念に拭きました。そして、(絶対に我慢しよう)と決意して戻ったのですが、すぐにまた溢れてきてしまい、仕方なく何度も拭きながら対処する事にしたのですが、すごく恥ずかしかったです。   M性に気付いたのは、いつ頃?[Res: 2488] Re: ヌードモデル まこと 投稿日:2010/03/19 (金) 19:45   感度の良いMのようですね。自分のM性に気付いたのは、いつ頃どんなきっかけでしたか? モデルをしながら、もっと罵られたり、恥ずかしい命令されたりして欲しくなってませんでしたか?   高校生の時に野外でHした時位から[Res: 2488] Re: ヌードモデル ゆみ 投稿日:2010/03/20 (土) 13:22 まことさん  私が自分のM性に気付いたのは、高校生の時にナンパされた男と野外でHした時位からです。知らない人に外で裸にされHしている事に、今までにない程の興奮を覚えてしまい、「人が来たら・・・でも見られてみたい」と思った事を覚えています。   モデルをした時は恥ずかしくてあまり覚えていませんが、どうせなら男の子にいたずらされたいと思っちゃいました。罵られたり命令されたらどうなってたんでしょうね(笑)   洪水で止まらなくなって床を水浸し状態に…[Res: 2488] Re: ヌードモデル ありさ 投稿日:2010/03/25 (木) 18:54   わたしも撮影とか、デッサンのヌードモデルをやっているんですが、同じ様な経験をした方がいるんですね… 若い男性と女性が大勢いる前で、緊張と興奮で濡れて足元までビショビショになってしまい、女性に「自覚して下さい! 仕事なんだから!」って、注意されました。  恥ずかしさと立ちっぱなしで身動きがとれずのぼせて、今度は体中汗でビショビショになり、さらにアソコから洪水で止まらなくなって床を水浸し状態に…  異性に裸を見られて濡れているところを、同性に冷たい目で見られ辛かったです…その気持ち凄く解りますよ。 過去ログ1 妻が投稿写真に載っていたので、オナニーさせた[19] “身近な”人妻 たかし 投稿日:2003/02/21(Fri) 20:08   昨年の冬のことです。私は定期購読している投稿写真誌を購入しました。途中まで読み進んだ時、頁をめくる手が突然止まりました。(似ている・・・) 目線は当然入っています。でも、明らかに私の”よく知っている人妻”に似ているんです。  投稿者によれば、相手は伝言ダイヤルでゲットした30代の人妻。美形ゆえの高慢な態度も、極太珍棒を挿入されたら一気にメロメロ。最後は嬉々として口内発射を受け入れたとのことです。  写真の中には、精液を口に溜めた口元のアップがありました。やや尖った顎の形、歯並び、そして口元の小さなホクロ・・・。それに、やや色素の濃い大き目の乳首、びっしりと生えた陰毛の形・・・。まさかと思いました。でも・・・。   私は思い切って確かめることにしました。私は”その人妻”の顔をじっくりと確認しました。顎の形、歯並びだけなら他人の空似もありますが、ホクロの位置までは。私は”その人妻”を裸にして身体を確認しました。  色素の濃い大き目の乳首は、私が軽く触れるとすぐに反応して勃起しました。両足を広げて濃い叢を眺めると、肉棒の挿入を期待して愛液が溢れています。(ここにあの男のちんぽが・・・) ”その人妻”は、かなり性欲が強い方です。  男性経験も少なくないようで、結婚前に10人ほどいたようです。結婚後は、年齢を重ねるとともに淫乱度が増し、夫もやや持て余し気味。そう言えば、最近は、夫以外の男ともしてみたいと時々口にすることも。   もうお気づきだと思いますが、その人妻とは私の妻のことです。妻に対する私の疑念は、日に日に増していきました。妻のアソコに私以外の男のちんぽが・・・。それも、あの男はお腹の出た中年男です。あんな男に・・・。  それでも、不思議と妻を憎む気にはなりませんでした。それよりも、妻が他の男に抱かれる姿を想像すると、とても興奮するのです。  それから数日後、私は妻にその雑誌を見せました。妻は・・・、びっくりしたようです。最初は否定してましたが、問い詰めると、最後は泣きながら認めました。私は、妻を裸にさせると、股間を開かせました。「ここにあの男のちんぽを咥えたんだな?」「はい・・・」 私は、目の前でオナニーをさせました。妻もそのうち感じてきて、いやらしい音を立てながら指を激しく動かします。   興奮した私は、妻を押し倒して一気に貫きました。「あなた、ご免なさい」 妻は感じながらも、私に謝り続けます。「浮気はあの男だけか?」「はい・・・、本当です」「もう絶対浮気はしないな?」「は、はい・・・」  「でも、本当はしたいんだろう・・・?」「・・・」「正直に言え!」「はい・・・、したいです」「この淫乱女めっ!」 こんな会話が続きます。この頃になると、妻も私の本当の気持ちが分かってきたのでしょう。「あの男のちんぽはそんなに良かったか?」「良かったです」「何が良かったんだ?」「お、大きい・・・」「ぶっといちんぽだったのか?」「そ、そう・・・、ぶっといおちんぽ好きっ!」  「おまえは牝犬だっ!」「ご、ご免なさい。でも、生ではさせなかったから」「本当はゴムが無い方が良かったんだろう?」「で、でも・・・、あなたに申し訳ないから」「それなのに、あの男の精液を飲んだのか?」「だ、だって・・、どうしてもって・・・」

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 今回から織田信長の名言を取り上げたいと思う。 あまりにも有名な武将なので良く知っておられる方はスルーしていただいて結構です。 ただし、今回は信長の名言ではありません。 信長と切っても切れない幸若の舞曲『敦盛』のことです。  『人間五十年、化天の内を比ぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を受け、滅せぬ物のあるべきか。』 というものだが、信長が愛し、決断する時には舞ながらよく謡っていたという。 信長は、物心ついていた時から「人間50年」と決めていたようだという。 こういった考え方は、戦国時代の一部の者にとっては普通の考えであったのだという人もいるのだが・・・どうだろうか? 医術の発達していないことや、戦で亡くなる者も大勢いたのだから短命だったことは否めないだろう。 現代の男性でも、父親や祖父が亡くなった年齢を気にする方が結構おられるのだが、ルーツは案外このあたりかもしれないのでは・・・・。 そして、この「敦盛」を超有名にしたのが、今川義元が織田領に攻め入ってきたときだ。 小説、TV、映画では必ず出てくる場面だ。  時は永禄3年(1560)5月12日のことだ。 駿河(静岡県の中央部)、遠江(静岡県西部)の太守である今川義元が25000人の兵を引き連れて出立したのだ。 先発隊の井伊直盛に遅れること2日後のことである。  この時(18日)信長は何をしていたのだろうか?  信長は清洲城にいたという。 既に義元が桶狭間近くまで進出し、翌19日に「丸根」と「鷲津」の両方の砦を攻撃するとの情報も得ていたというのだ。 しかし、異端児信長は、軍議らしい軍議を開くこともせず、かえって世も更けた際には、家臣たちに「家に帰って休んでいろ」と指示たという。 家臣たちは一瞬ポカーンとして「運の末には知恵の鏡も曇るのか」と落胆したという。 敵今川軍は2万5千人、対する自軍は3千人だ。 勝てる見込みは無いと思っていたのが本当だろう。 信長一人は勝算があったのだろうか?否、信長本人も勝ち目はないと思っていたかもしれない。 それほどの劣勢だったのだ。 午前2時ごろ、信長は目覚めると「具足を持て、螺(かい)を吹け」と出陣の命令を次々に出すのだ。 そして、立ったまま「湯漬け」をかき込み、そして有名な幸若「敦盛」を舞いながら謳い舞うのだ。 この場面は、桶狭間の戦いを描くときには絶対に手抜きをしてはいけない描写であるのだ。 信長は、この舞を3度舞ったというから余程の覚悟があったのであろう。 その後信長は、馬を走らせ桶狭間に赴き、結果は義元の首を討ち取り勝利する。  その後機会あるごとに「敦盛」を謳っているというのだが、最後は「本能寺の変」で光秀の謀反により人生を終える。 最後の最後にも「敦盛」を謳いながら舞ったというが、これは誰も見ている者はおらず推測だ。 信長の最後は、このようであっ欲しいとの願望が、この場面を創ったのでは・・・・と思うのだがどうだろうか?  

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