今から42年前、1977年(昭和52年)の夏に東京晴海の国際見本市会場での開催された 「カロッツェリア イタリアーナ’77」と名付けられた自動車ショーについて、ご紹介しています。前報のフェラーリ・モデューロ[https://swada.at.webry.info/201907/article_2.html]に続いて、同じピニンファリーナデザインのショーカーをご紹介します。ディーノ 206 コンペティツィオーネ(Dino 206 Competizione Prototipo)1967年デビューなので、この時既に10年が経っています。半世紀以上前のデザインですが、小さく引き締まったシャーシに素晴らしい曲線美だと思います。スーパーカー世代には「サーキットの狼」に出てきたヤタベRSの元ネタですね。次報は同じピニンファリーナデザインのフォーミュラマシンのプロポーザルです。[https://swada.at.webry.info/201907/article_6.html]

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背伸び感のない大人ライブ。。。 花道もない、クレーンもない、タワーもない。シンプルなメインステージで背景を背負いながらの本気の音楽。 公演時間は、約2時間半。時間を割くMCと思しき時間はなく、繋ぎのトーク以外音楽一色。 なのに・・・たったの22曲。 近くに行くより遠くで魅せて聴かせることに拘ったヴォーカルデュオは、自らの世界にファンを引き込みながら、ジャニでは難しいとされる、ライブのマナーの遵守を自然とファンに教え込んでいく。 曲終わりには賞賛の拍手、静かに聴くときには邪魔な掛け声はしない。静かに大人しく聴くとき、コール&レスポンスで盛り上がるとき、一緒に歌うときを瞬時に理解する。まだまだ守れない奴もいるけれど、公演を重ねるごとにきっとそれは良くなっていくだろう。 テゴマスライブは、ジャニコンであってジャニコンじゃない。音楽が与える感動で、私たちは少しずつそれを理解する。 ツアー初日が明けて随分経つので今更ですが・・・当ブロク名物出典付きセトリを、興味のある方だけどうぞ。あえて、オープニングはovertureの意味で0曲目にしました。 <テゴマス4thライブ テゴマスの青春 セットリスト>  横浜アリーナ公演☆初日 2014.3.28 00.ヒカリ(アコースティック Version)01.蒼色ジュブナイル(in 4th Album テゴマスの青春)02.音色(in 2nd Album テゴマスのあい)03.ひとりじゃない(7th Single c/w)04.ファンタジア(in 4th Album テゴマスの青春)05.いつかの街で(in 4th Album テゴマスの青春)06.魔法のメロディ(in 3rd Album テゴマスのまほう)07.少年~Re:Story~(in 4th Album テゴマスの青春) ☆アコースティックコーナー08.青いベンチ(5th Single)09.きれいごと(in 4th Album テゴマスの青春)10.タイムマシン(in 4th Album テゴマスの青春) 11.サヨナラにさよなら(7th

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2014年10月18日湯殿山神社本宮(1) 慈恩寺から湯殿山神社本宮へ向かった。途中でガソリンスタンドが開いているか心配だったが、無事給油できて一安心である。国道112号線はトンネルなどが穿たれ、道路が整備され走りやすくなっていた。月山花笠ラインと呼んでいるようだ。 月山第一トンネルを出ると国道112号線から湯殿山へ上る道へ入った。途中から湯殿山道路という有料道路になるが、ゲートが開くのが8時半で、少し早く着きすぎたので待った。私の後から上ってきた人も含め待つ車が4台ほどになった頃、ようやく係の人が乗った車がやって来た。その車は一人を降ろして上っていった。8時15分頃だが、係の人が到着したのでゲートが開くと思い、車の中で待機した。なかなかゲートが開かないので、規則通り8時半まで待たされるのかなと思っていると、5分程前に開いた。400円の通行費を払って湯殿山参籠所まで上がった。この有料道路も11月初旬には閉まるという。東北の冬は早い。 この大鳥居は平成5年10月にできたそうだ。  まだ紅葉には少し早いようだ。  湯殿山参籠所からはバスが出ているが、歩いても20~30分だというので歩くことにした。すっかり観光地と化した感があり、ほとんど歩かなくても出羽三山の奥の院と言われる湯殿山神社本宮へ行けるということだ。中高年には便利でありがたいが、修験の山、信仰の山としての権威は薄れているようだ。  本宮に向かって舗装された山道を登っていると、バスに追い抜かれた。こんな空気が澄んだ山の中を、排気ガスを出しながら上っていくバスは相応しくないと思いながら、これも観光という仕事で生きていくためにはやむを得ないことかとも達観してみる。 写真は帰りの道を下るとき撮ることにして、とにかく本宮まで上ることに専念した。  バスの終点まで着いた。既にお店が開いていた。お店の人や本宮で仕事をする神職の人が乗ってくる車を駐める駐車場が、木々で隠れた目立たない場所にあったのを目ざとく見つけた。 その駐車場に警察車両が駐まっていて、レスキューのオレンジ色の服を着た人も見えたので、山岳救助隊のような人が常駐しているのかなと思い、お店の人に訊いてみた。  すると、一昨日(10月16日)本宮を参拝したお年寄りが行方不明になってしまったのだという。何でも名古屋の80歳になる高校の同級生グループが参拝に来て、一人が行方不明になってしまったらしい。店の人の話によると、80歳になった記念の旅行のようで、11人全員でここまで来たが、「私は何度もお参りしているので、ここで待っている」と言って数人がこのお店のある辺りで待っていて、あとの数人が本宮まで行ったという。参拝が終わった後、行方不明になった人は、御朱印をもらうために一人遅くなったようだ。待っていても戻ってこないので携帯電話をかけたが応答がなく、探したが見つからないので4時50分頃警察に通報したという。店の人によると少し痴呆症ぎみだったようだと言う。 昨日も捜索したが見つからなかったようだ。今日もこれから捜索するという。私は今朝の気温が6℃だったことを思い出して、ゾッとした。楽しいはずの同級生との旅行が大変なことになってしまった。ここも供養鎮魂の山であるとすれば、この老人の魂は既にあちらの世界へ連れ去られてしまっているのではないかと想像してしまい、気持ちが落ち込んだ。 現地説明板より『 湯殿山のご由来御祭神大山祇命(おおやまづみのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと) 出羽三山とは、月山・羽黒山・湯殿山の総称で推古天皇元年(593)、第32代崇峻天皇の御子である蜂子皇子様の御開山である。皇子は、蘇我氏の難を避け、京都の由良から海路を経て、出羽国庄内浜の由良に入られた。そして三本足の霊烏の導くままに羽黒山に入り難行苦行の末、羽黒山上に羽黒権現の御示現を拝し、次いで、月山、湯殿山を開き、両神を羽黒山に勧請して羽黒三所大権現と称した。 その後、皇子の御徳を慕い、加賀白山を開いた泰澄上人や修験道の祖と言われる役の行者、また真言宗の開祖弘法大師、天台宗の開祖伝教大師とその弟子慈覚大師なども来山して修行をしたとも伝えられている。こうして皇子修行の道は次第に発展して羽黒派修験道となり、全国に名を知られ時代を重ねるにつれ、人々の厚い信仰を集めることとなった。 此処、湯殿山は、推古13年(605)の御開山とされ、出羽三山の総奥の院として特に厚い信仰を集めてきた。江戸時代までは真言宗として奉仕してきたが、明治維新に際して神仏分離(廃仏毀釈)が発令され、古への神奈備山にかえり神社として奉仕している。 殊に出羽三山信仰は「三関三渡」や「擬死再生」など、生まれ変わりの信仰が今も尚息づいている。羽黒山で現世利益の御神徳に与り、月山の大神の下で死後の体験をし、慈悲深い湯殿の大神より、新しい生命を賜って、再生すると考えられる。 特に湯殿山での修行は三世を超えた大日如来を本地仏とする大山祇命・大己貴命・少彦名命の霊験により、神仏と一体になり即身成仏を得ることが出来るとされた。また湯殿山本宮では、御神体を目の当たりに拝し、直に触れてお詣りが出来る御霊験の有り難さより、俳聖松尾芭蕉も「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」の句を残された、古来「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の霊場なのである。 ご参拝について・参拝バスを降り、湯殿山神社本宮参道入口より徒歩5分(約100m)・本宮入口で素足になってお祓いを受けてから御神体にお進みお参り下さい。御祓料 500円※本宮内はご由緒により撮影はご遠慮下さい。    』  この説明板では三山それぞれ役割分担があり、月山は“死の山(擬死体験)”だが、湯殿山は“再生”の山ということになっている。行方不明の老人は再生の神社で死ぬことはないのではという微かな期待が宿ったが、それは見事に裏切られた。  石段を少し上り50mほど歩き、右下の沢に下りると受付のような場所があった。 作法通り、素足になってお祓い料(500円)を払った。ひとがた(人の形をした紙)と紙の安ぽいお守りを受け取り、祈祷をうける。ひとがたは頭から足元まで撫でて穢れをうつし、息を3回ふきかけた後、水へと流した。 郷にいれば郷に従えだからしかたないが、ここの神様は一生懸命生きている人間が穢れていると思っているのか気になる。私は禊ぎ祓いの神道を快く思っていない。本来の日本の八百万の神たちは人間の営みの中から生まれる汚れをいとおしいと思うような神なのではないかと信じている。土や油にまみれて働く汚れた手を尊いと思う神たちだと考える。人間の存在はけして不浄なものではない。  裸足のままで先へ進むと、御神体と対面となる。裸足なので足の裏が少し冷たい。本宮には社殿がない。湯殿山神社の御神体は、温泉水が湧出する場所にある茶褐色の巨岩で、この巨岩には温泉水の影響により生じた水酸化鉄がウロコ状の塊となって付着している。御神体であるこの巨岩は、「三山奥ノ院」とされ、一番の聖域とされる。 鏡があったが人工物は相応しくない感じがた。折角、社殿や拝殿という人工物がないのだから鏡もないほうが自然だ。 向かって左側から茶褐色の巨石の背後に登れる。登る石段にも温泉が流れ、足は冷たくないのだが、何だか滑るような気がして少しこわい。 巨石の背後を進むと行き止まりになっていた。ここから滝に下りられるようなのだが、今は通行止めになっているようだ。滝も見えなかった。 現地説明板より『 御滝神社・御澤参拝について こちらでの御参拝は、月山からの清流、梵字川の両岸に祀られている常世岐姫神社を始め13柱の神々を拝し、更に直下に轟音を上げて流れ落ちる御滝・御滝神社を参拝する拝所であります。 古来より湯殿山の御滝には龍神様が棲まうとする信仰もあり、江戸期にはその全盛をみるに至りました。 また往古より湯殿山御神体を参拝する際には、予め御滝で心身を清めてから御神体を拝するという風習があり、現在でもその戒めを固く守り参詣する信者行者は後を絶ちません。行の御山、生まれ変わりの山と謂われる所以はまさに、此処にあるのであります。 』  昔はこの滝を不動尊として拝したが、今は瀬織津姫神を拝する。この滝から神橋に至る間の両岸には13の末社が祀られ、この末社を巡拝することを御沢駆けと云う。真夏でも肌に突き刺すような雪解け水に滝の行をする行者が多いという。  今はバスで本宮入口まで上がれる。私はその車道を歩いてきた。しかし、かつてはこの沢を登ってきたという。沢を登ることを「御沢駆け」といい、仙人沢を沢登りして奥の院に参詣する風習があった。その行程で見ることができる特徴的な岩や洞窟などの自然物には神仏の名前が付けられており、これが御沢仏である。御沢仏それぞれの尊名 ( 神仏の名前 ) は、「御前五身仏」「愛染明王」「胎内権現」「日月燈明仏」などといったもので、かなり特殊なものが多いという。神仏分離後は、全て神名となったという。 御沢仏は元々信仰された自然物そのものであったが、時代が下るにしたがいそれを偶像化したもの(彫刻・絵画)も制作されるようになり、これらもあわせて御沢仏といわれるようになった。湯殿山やその信仰圏で散見される御沢仏は、湯殿山の大自然そのものを神格化したものであるがゆえに、湯殿山系寺院で最も重視されるという。  参拝を終えて出てきたところに足湯があったので、靴下をはく前に足湯で休んだ。私は20~30分しか歩いていないので、それ程足は疲れていないが、羽黒山から月山を越えてトレッキングしてきた人たちならば、この足湯は疲れをとるためには最高なのであろう。  靴を履いて、来た道を戻ろうとしたとき、登山者とおぼしき人たちが沢道に入っていくのが見えた。この本宮から月山へは約3時間だと聞いた。 私の脳裏には老人が間違えて登山道へ入ってしまった姿が浮かんだ。 道を戻りながら、写真を撮った。  熊出没注意の標識が見える。道の上からも御神体の写真が撮られないようにガードしてある。つまり見通しが悪いということだ。もし見通しがよければ、間違えて登山道へ入っていく老人の姿を誰かが見つけたかもしれない。 登山者が登山道へ入っていく姿を見てから、忘れていた行方不明の老人のことが頭から離れなくなった。柵から藪の中に身を乗り出して、下の写真を一枚撮った。微かに御神体が見えた。  帰って来てからネットを見ると、隠し撮りしたと見られる御神体の写真が掲載されていた。お借りして掲載する。  この御神体を女陰崇拝の象徴だという人がいるが、想像力が豊でない私にはどこから女陰を連想するのか分からなかった。  売店まで帰って来て、店の人とまた少し話をした。行方不明の老人の仲間は、彼が少し痴呆症ぎみだったのを知っていて何故最後まで行動を共にしなかったのだろう。確かに片道100m足らずの道のりで迷うような道だとは思わなかったのだろうが……。 それに「私は何度もお参りしているので、ここで待っている」と言った人は、ここまで来てなぜ一緒に行かなかったのだろう。信心が無いと言えばそれまでだが、私のように一度は見ておこうと考えて参拝した人は、一度見て知っているからもういいやと思ったのだろうか。お祓い料を500円払ってまで参拝する必要性を感じなかったのだろうか。 私は、お祓い料の500円は高いと思う。よく拝観料をとる神社仏閣があるが、社殿などの建物は維持管理費がかかるので仕方ないと思うことがあるが、ここは自然にできた造形が御神体なので特別維持管理費はいらないと思うのだが……。だが、自然災害で一時、復旧まで参拝ができなかったことがあるというので、いくらかの拝観料はとってもいいとは思うが、500円は高いように感じる。私は自発的なお賽銭で十分賄えると感じる。御神体を金儲けに使ってはいけない。  帰り道は写真を撮りながら下った。  湯殿山参籠所まで下りてきた。 玉姫稲荷神社があった。 現地説明板より『 玉姫稲荷神社の由緒 玉姫稲荷神社は、此処仙人沢の霊域に於いて、即身成仏の修行に挺身された鉄門海上人が守り神として帰依され、その御守護を得て成仏されたとのいわれにより湯殿大神に願掛けする人は、先ず玉姫稲荷にお参りし、その霊験におすがりし、そのおたすけを頂いて本願を達成するという、習わしがありました。 初めは、石柱を憑代としておりましたが昭和61年神社の御神木を以て社殿を造営し又、信者の寄進により鳥居も建立され、御社頭一新の整備を見ました。 玉姫の みいづかしこむまめ人が 祈る真心嘉(よみ)し給へと 春岳  』  ここは即身仏修行の地だという。鉄門海上人とおぼしきミイラのレプリカが祀ってあったが、有り難みがない。現地説明板より『 由来 湯殿山は出羽三山の奥の院として明治の初めまで神仏習合の霊山として栄え此処、仙人沢は木食行人(一世行人)修行の霊地でありました。 庄内地方にある即身仏6体 真如海上人  大日坊  朝日村大網 鉄門海上人  注連寺  朝日村七五三掛 本明海上人  本明寺 朝日村東岩本 鉄龍海上人  南岳寺  鶴岡市 忠海上人   海向寺  酒田市 円明海上人  海向寺  酒田市 は、皆湯殿山仙人沢に於いて五穀を断ち十穀を断って厳しい修行を重ね衆生済度のため挺身された尊い方々であります。 最近この霊場、湯殿山仙人沢の信仰史蹟を広く顕彰して欲しいという要望がある矢先、映画「月山」に於いてミイラ像を作成した御縁で鶴岡市出身医博秋山太一郎氏より模擬像の奉納がありました。奇特の至りで湯殿信仰を物語る貴重な資料であります。    湯殿本宮 』  私は前に村上市の観音寺で仏海上人のでミイラを見たことがある。 ( 関連記事 観音寺  旅21 笹川流れ など ) ミイラを公開している寺もあるのは知っていたが、ミイラそのものには興味がないので見に行くつもりはない。しかし、湯殿山が即身仏と関係があることには興味があるので調べてみた。  真言宗の修験道者には、弥勒菩薩が五十六億七千万年の後に下界に生まれて聖業を行うという信仰があった。五十六億七千万年後とは天文学的数字で、今の地球の年齢に匹敵する。いや地球の年齢は45億年とも言われるのでそれ以上だ。 真言宗の修験道者は弥勒菩薩のその聖業に参与するために、自らの身体を留めておく念願がたいへんに強かった。弘法大師空海が眠っているのもその為かもしれない。 この目的のためには、行者たちは平素の救生済度はもとより、死後はミイラとなって、世人の信仰を集めた。これを即身仏と言うが、要するに即身成仏した行人のことである。 このための修行は出羽の湯殿山が主体となった。湯殿山を管理する朝日村七五三掛の注連寺、朝日村大網の龍水寺大日坊、西川町保土打の本道寺、西川町大井沢の大日寺を別当四ヶ寺とよんだが、そのいずれかに入門する。もちろん得度したのち、難行苦行を経て一世行人を名乗り、宗祖の空海に因んだ得号の免許をうけねばならない。 行者は一千日以上にものぼる修業の上、海号を許され、山篭行者とも称された。 調べてみて初めて私は、即身仏の多くが「海」の付く上人名であることの理由が分かった。 ここで注目するのは、本道寺と大日寺は慈恩寺宝蔵院末寺であることだ。月山・湯殿山への登り口は7つあるとされ、西の朝日村にある注連寺口や大網口のほうが、南の西川町の本道寺口や大井沢口よりも古いということだ。 どういうわけか、慈恩寺は天文年間(1532年~1555年)に奥の院としていた葉山との関係を断った。そして、江戸時代に月山・湯殿山の登拝が隆盛を極めるのは、南側の大井沢口、本道寺口、岩根沢口が充実したことによるという。特に湯殿山への登拝がメインになっていく背景はここにあるようだ。東の肘折口も本来は葉山への登山口ではなかったかと私は考える。 ( 関連記事 慈恩寺  旅403 慈恩寺 )  かつては羽黒山(414m)、月山(1984m)、葉山(1462m)が出羽三山だったという。この三山が神仏習合であった時代、三山を抖擻(とそう)する修行を「三関三渡」といった。 羽黒山は観音菩薩(現在)、月山は阿弥陀如来(過去)、葉山や薬師岳は薬師如来(未来)とされ、それらの加護と導きにより現在・過去・未来の三関を乗り越え、湯殿山の大日如来(三関を超越した世界)の宝窟に安住し、即身成仏(生きたまま悟りを開く)の妙果を得るというものであった。  「葉山」信仰とは、祖霊信仰だとされる。葉山は麓山・端山などいくつか漢字表記を替えて表されるが、本来は「端山」だと考えられる。人の霊はすぐには天に昇れないという。 人が死んだら、一旦は集落からそれほど遠くない端の山である端山(里山)へ葬られる。古代は土葬が基本で、そこで肉体が滅び霊が浄化される。霊は更にその端山から更に高い山へ移り最終的には一番高い深山(みやま・御山)へ移り、しばらく天に近い深山に留まり、浄化されてから天に昇るという。 つまり、端山と深山は一対の関係にある。ここでは、羽黒山や葉山が端山であり、月山が深山であったと考えられる。かつての出羽三山が、羽黒山・月山・葉山だったということは頷ける。  近畿地方中心に両墓制(りょうぼせい)があった。これは遺体の埋葬地と墓参のための地を分ける日本の墓制習俗の一つである。改葬する場合もあるという。 遺体の埋葬墓地のことを「埋め墓」(葬地)、墓参のための墓地を「詣り墓」(まいりはか、祭地)と言う。 埋め墓は人里離れた山林などが多く、ここは端山とも考えられる。詣り墓は残されていくが、埋め墓はやがて顧みられなくなる。霊はそこから深山へ移ったと考えられたのかもしれない。  端山は水源地となることもあり、祖霊信仰だけでなく作神(水神)信仰を伴う場合もあった。特に田の神は春には里におり、収穫が終わった秋には山に帰ると考えられた。

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●2014/04/05  ミバエ科   体長 8mm位 ●数日前から、部屋の中で壁や天井へ止まったりして  いましたが、今朝やっと捕まえることが出来ました。  小さなタッパーに入れて見たら、  「ミスジミバエ」と分かりました。 ●僅か 8mm位と小さく、透き通った翅をぐるぐる回したり、  普通のハエには見られない仕草がおもしろいですよ。  お尻の先が尖っているので メスのようです。  指にハチミツをつけて、誘って見たらすぐに舐め  始めました。  よほど お腹が空いていたようです。 ●「ミスジミバエ」は、大きな枯れ葉などの中に数匹が   集まって成虫で越冬している 写真が載っていました。   暖かくなったので、餌を探しに出てきたのでしょう。 ●今度は、キウィやイチゴにも ハチミツをつけて見ると、  夢中で舐めていました。  果物よりも、ハチミツが美味しかったのでしょう。  複眼の青い光沢が、綺麗です。  こちらもピント合わせに夢中になりました。 ●胸部背に、白い三本の筋があり、  幼虫が寄生する植物の実を食べるから、  三ズジ+実バエ と名前がついています。 ●口の先は、モップのように飛び出ています。    ●透明ガラスに止まらせて、お腹の方も撮って見ました。  お尻の先が飛び出て、更にノズルのように産卵管が  中から出て来る、写真も載っていました。 ●2014/04/07 ●今朝 7時45分です。ブログを書いていたら、  部屋に放していた「ミスジミバエ」が、PCの傍で  見つかりましたハチミツをやったので元気でした。 ★「ミスジミバエ」は、雌雄異株の「カラスウリ」の  落下した雄花に産卵する  と言うことが載っていますが、  実際の写真が見つかりませんでした。  最近、野山に行っても、カラスウリの花や実を

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どちらも小椋佳の曲の題名である。前者は2歳児が親の目を離れて団地の4階(?)から転落してしまったという新聞記事に感化されて製作したものという。2歳児の目から見て階下に広がる世界がどのように映っていたのか、すばらしいものに見えたのではと、なんかそんなことを盛り込んだとの本人談を拝読した覚えがある。付け加えればそのとき彼自身の子供がその歳で親戚中から非難ごうごうであったとも記してあった 生まれたばかりの人間が何を恐れるかということに関することでいえば、高さはその対象のひとつであるtらしい。よく「火傷をしなくてはわからない」などという意味の言葉を聞く。おそらくそれはそのとうりなのだろう。高温の物体に対する防御本能というものは生来備わっているようには思えない。しかし、高さに対してはどうか?トラウマになる原因がなくてもいい大人が高所を恐れるではないか。小生も仕事で地上から50m、100mといった場所へ頻繁にあがることがある。ここ数年、本当に危険な工事中のエリアにいるときはさほどではないが、自分でコントロールできるはずの完成したデッキにいる時に不意に不安に駆られる。 一歩踏み出せば誰の助けも必要とせず、何の苦労もなく遥か数十m先に一瞬でたどり着けるのだと。誰かがささやいているというか、自分の中にそれを言う自分がいる。夢にも現れる。よくない兆候だ。その気持ちとも折り合いをつけなくてはならない。 何が言いたいのかというと、人間は生まれながらに高いところを恐れ、そして恐れを克服したいと考えている。そして、小生もそうしたい。 掲題の後者もまた同じ作者による曲の題名であるこちらは、しかし、親である作者が子供を王子様に例え、かわいさゆえに不必要なものまで与えてしまい、それがゆえに子供である自分の望む本質が何であるか決めかねている様を歌っているように思える。 脈絡のない対照を示したが、なんとなく今の自分に合っている。気がする

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東京都あきる野市にある「都立秋留台公園」の桜(ソメイヨシノ)です。 この公園の桜は公園入口からの並木道や全天候型400mトラック8レーンの陸上競技場の外周道路などに植えられ、競技場の外周890mのジョギングコースを散策しながら桜が見られます。 また、競技場の芝生の観覧席から目の前に枝垂れた桜を見ることもできます。   撮影日:2018年3月29日((木曜日) 秋留台公園はJR五日市線の東秋留又は秋川駅から徒歩15分、車では圏央道あきる野IC又は五日市ICから3kmほどの所です。今年のお花見は晴天続きで、青空と桜の写真が多くなりました。 雨や曇りでなくて有難いのですが、雲が少しほしいところです。 昨年はこんな感じでした。 撮影日:2017年4月12日(水曜日) 遠く小さく見える山は奥多摩山系の大岳山と御岳山です。 今年の桜の満開は昨年より2週間も早かったんですね。青空に桜の写真も良いのですが、雲が少しあった昨年の方が変化があって好きです。

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 「キャプテン・ジャック・スパロウぉ~~~~~~~~~~~ぅ?」 「聞いたことあるか?」 「んにゃ、ねぇ。」 「きっとまだ、そんなに有名じゃないんだよ。」 「ああ、懸賞金も低そうだな。」 「弱いんだよきっと。」 「ああ、いるいる。カッコばっかで全然ダメダメってヤツがな。」 「でも、なんだかふてぶてしいわね。」 「ねぇ、ナイショ話なんてお行儀良くないよ?」 はい、「」が9つ。  「ぎゃあああああああああああああ!いつの間に!?」 ウチワ話の輪に頭数がひとつ増えていた。いつのまに、こちらへ乗り移って来たんだ?  「俺ってそれなりに、名が売れてると思ったんだけどな~。」 「ねぇ、アナタ。コンパスを持ってる?」 ロビンの問いに、ジャック・スパロウと名乗った男は  「おや、こちらもなんと麗しい。あ、ちょっと待って…?どこかで会ったような気がするけれど…どこでだったかな?キミのような美人、滅多に忘れないんだけど…。」 「テメェ!!とぼけてロビンちゃんに何しゃがんだ、あぁ!?」 普段の自分の行動を、すっかり棚の上に上げて封印したサンジが叫んだ。と、麦わら海賊団全員が、その時気づいた。  「この人、サンジに声がそっくりだ。」 チョッパーが言った。  「ホント、初めて聞いた時『あれ?』って思ったんだけど。」 「あはははは!!おもしれぇな~!!サンジ!コイツと『ちょっと!ちょっとちょっと!』ってやってみろよ!!」 「ざけんなクソゴム!!」 「ああ、どうやらムカツク声だとは思ったんだ。」 「マリモォアアア!!」 ケンカ勃発。それを無視してまたロビンは  「コンパスを持ってる?」 「…あまり見せたくないな~、壊れてるし。」 「いいから、見せて。」 「………。」 ジャック・スパロウは、ロビンにコンパスを渡した。確かに、本人が言うように壊れているらしく、どう傾けても針は動かない。もっとも、今、ここでは役に立たないのかもしれないが。  「見て、このコンパス。」 「…普通の海で、あたし達の使ってるのと違う…どういうこと?」 「…この人と私たちの、存在する次元は違うようね…。」 「次元が違うって?」 「違う世界の人ってこと。」 「ああ、そういうこともあるかもしれない。」 けろり、とジャックは答える。  「だから言っただろ?ここは、“海の墓場”だって。」  「と、言う訳で、新しい仲間にカンパ~~~イ!」 そして何故か宴。ジョッキを高々と掲げて言うジャックに、ウソップが  「うわ~、ルフィそっくりのノリ。」 「ちょっと待てェ!キャプテンはおれだぞ!」 「そちらはこの船の船長、おれはそっちの船の船長。新しいデービージョーンズロッカーの仲間に乾杯、おわかり?」 「乗組員1人の海賊船のな。」 「ねぇ、そのデービージョーンズロッカーとか、クラーケンとか、“海の墓場”とかを説明してくれない?えっと、キャプテン・ジャック・スパロウ。」 「はぁい、美人の質問には何でも答えちゃう。」 「ルフィ、このクソ野郎、殺っていいか?」 「面白いからダメだ。」 ジャック・スパロウは、自分がここに至るまでの経緯を彼等に語った。 かいつまんで詳しく丁寧に脚色して自分の都合のいいように (作者注:この経緯を知りたい方は、『パイレーツ・オブ・カリビアン・デッドマンズチェスト』をご鑑賞ください。)  「はぁ~~~、そいつは気の毒だったな~~~~。」 「あううううう!仲間を助けようとして、ひとり怪物に身を捧げて船と運命を共にしたなんて、船長の鏡だぜ~~~!!バカ!泣いてねぇよバカ!!」 ここでジャック・スパロウが、麦わらの一味に何を語ったのかは、各自ご想像に任せる。 ウソの達人も騙された。鉄人が騙されても仕方がない。当然タヌキ(違う)もばかされて  「うおおおお!やっぱり許せないぞ!デービー・ジョーンズ!!」 「ちょおっと、待ってよ!それじゃあたし達も、ここから出る方法がないってことじゃない!?」 「そゆこと。」 「じょーだんじゃねぇ!!こんな所で日干しになるわけにはいかねぇ!」 「目が覚めたら夢でしたって、そういうオチ!?ねぇ!そういうオチ!?作者ァァァ!!」 今日、耳日曜日なのでお答えできません。  「ざけんな、コラァアア!!」 きゃー、ゾロに襲われる。  「ちょちょちょ!ちょっと待って、落ち着いて。皆さんどうか落ち着いて。」 ジャックが、おどけた顔で言った。  「大丈夫、大丈夫。君たちは、ちゃんと元の世界に戻れる。」 「何でわかる?」 サンジが問う。  「んん?……勘だ。」 「…ルフィ、コイツお前の親戚じゃねぇのか?」 「さぁ、よく知らねェ。」 「自分の父親すら知らなかったヤツだからなぁ。」 と、ジャックは、「静かに」という仕草をして見せて立ち上がった。  「………。」 だが、すぐに深い溜め息をつき  「違った。ダメだな。この場所にいると、聞こえなくていいものまで聞こえてくる。」 「え?何?何が聞こえたの!?」 「ん~、都合のいい音。例えば助けに来てくれた船の音とか。」 「あなたを助けに来てくれる人がいるの?」 「うおおおっ!今のコトバ、鋭く胸にっ!そのツッコミに心当たりが山ほど!」 「やっぱりこの人、サンジにも似てる。」 「似てねェよ!!」 だがその時

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セイレイの枝打ちロボット、やまびこ。もう10年くらい前の機械です。30キロほどの重量で山の急斜面では移動がかなりきわどい仕事になります。値段は45万ほどで今の様に木の価格が安くてはとても買える代物ではありませぬ。 動画を見たいとの意見がたま~にありますので2年前のものですがUPしてみました。横画像のままでおまけに鮮明でもありませんが無理してみてください。再生中に画面をクリックするとYOU TUBEの画面になりコメントも見えます。

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山上憶良の次の歌から「秋の七草」がめでられるようになった。 「萩の花 尾花葛花 なでしこが 花 をみなへし また藤袴 朝顔が花」 ここに出てくる「ハギ(萩)の花」はヤマハギ(山萩)だそうである。 花が房になり葉より長いのですっきりと風情がある。 ヤマハギ(山萩)の名前は、山地に自生しているハギ(萩)の仲間に由来している。 ちなみに、草冠に秋と書いて「ハギ(萩)」、いかにも秋を代表する植物である。古来から日本人に親しまれ、「万葉集」で詠まれた花のなかでハギ(萩)が最も多い。 ハギ(萩)の名前は「生え芽(はえぎ)」を意味し、冬の間枯れたようになった古株からでも芽が出るはえぎ(生え芽)が、ハギ(萩)になったといわれている。 まめ科ハギ属の落葉半低木で、「Lespedeza bicolor」である。属名の「Lespedeza(レスペデーザ)」は、18世紀後半の、アメリカのフロリダ州知事のスペイン人「Cespedes氏」の名前にちなんでいる。 誤植のため「Cespedes」が「Lespedez」になった。種名の「bicolor」は、「bi:2ツの」と「color:色」が語源で、「2色の(1花に2色ある、1花が変色して2色の混じる)」を意味している日本が原産で北海道から九州、朝鮮、中国、ロシアのウスリーに分布している。尾根筋のアカマツ林中や林縁、刈り取り草地などに自生している。 樹高は1~3m。茎は刈り取られない場合には高さ2m近くになることもある。刈り取られた場合には、地面から真っ直ぐに直立している。枝先はほとんど垂れることがないが、林縁などに自生している場合には、時として枝が垂れることがある。 葉は葉柄から3枚の小葉が出る3出複葉で、茎の節ごとに1枚ずつ方向を異にして互い違いに生える互生をしている。小葉は広倒卵形(葉の中央より先端寄りが最も幅が広い)または広卵形(葉の中央より付け根寄りが最も幅が広い)。長さは4~6cm4~6cmで幅は2~3cmくらいである。葉先はわずかにへこむものから円頭のものがあり、変異の幅は広い。小葉の表面は緑色で無毛であるが、裏面は淡い緑色で短かい毛があるが、分かりにくい。花は7月から10月にかけて咲く。花は蝶形花で、左右一対ある花びら。花の色は、左右1対ある花びらの翼弁は濃い紅紫色であるが、上方にある1枚 の花びらで旗を立てたような形の旗弁や船の船首から 船尾にかけての竜骨の姿によく似ているとの意味であり、舟弁 とも呼ばれる竜骨弁もやや色濃いものが多い。 花序の柄が長いのが特徴で、柄と花序の中軸の長さはほぼ等しいか、柄が長いくらいで、葉群よりも花序は外側に出て目立っている。萼片の先端は鋭頭から円頭であるが、三角形の先端が丸いといった感じである。色は緑色のものから赤紫色のものまであり、赤紫を帯びるものではつぼみの時に重なっていた部分が緑色。脈が1本見えることが多い。葉柄とともに、花序の柄が長いのはヤマハギの特徴である。 ヤマハギ(山萩)は、時折刈り取られるような場所に自生していると、ヤマハギ(山萩)らしい姿となるように思う。葉は全体的に大きく、葉柄が長いので、葉の間が透いて見える。花序の柄も長いので、花数が少ない場合には点々と花があるように見える。話は変わり、ちなみにヤマハギ(山萩)なのでハギ(萩)に関わる話 ハギ(萩)は鞭としてよく使われた。ハギ(萩)は細くて、弾力があるから、鞭としては1番適している。昔の我が国の学者は、ハギ(萩)の鞭で、ふくらはぎを打たれながら勉強をしたという。ハギ(萩)の鞭に関わった話も沢山ある。 朴文秀とハギ(萩)の鞭朴文秀と萩の鞭にかかわったエピソードもある。朴文秀が暗行御脚になって、慶尚道のある地方を回っている時だった。或る日、深い山奥で夜を迎えるようになって迷っている途中、1軒家を見付けて門をたたいたら、美しくて若い奥さんが出て来た。ひと晩泊めてもらうようにお願いしたら、主人が外出しており、部屋もひとつしかないので、よその男を寝かせられないと答えた。 でも、朴文秀はこのまま山で迷っては、野獣に会って命を失うかも知れないから泊らせて欲しいと懇願した。奥さんは仕方ないといって家に入れ、夕飯をもてなして、寝床に入るようにした。部屋が一間だから布で部屋を分けて、それぞれ背を向けて横になったが、朴御吏は、女人の美しさに魂を抜かされて、知らぬ間に、その奥さんを抱えこもうとした。すると奥さんは起きて朴文秀を酷く咎めた。 奥さんは非常に厳しく叱ってから、「直ちに外に出て鞭を作って来なさい」といった。朴文秀は自分が作ってきたハギ(萩)鞭で、ふくらはぎに血が出るほど叩かれた。奥さんは傷についた血を、絹の布で巻いてくれながら、両親からいただいた血を1滴でも疎かに捨ててはいけない。この血が付いた絹の布を持っていて、もしか再び悪い心が起きたら、教訓にしなさいと与えたという。ポストカード Nikon デジタル一眼レフカメラ D700 レンズキット D700LKニコン 2008-07-25 Amazonアソシエイト by

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