<グロ画像注意> 2年くらい前、 海洋博の図書館で 無料配布の「ホウライカガミ」 の 苗を頂きました。 放置なのに、どんどん 野生化。蔓も 伸び放題で、 他の 果樹にも からみまくり。ホウライカガミは 毒があるので、虫もつかず。 花も 咲きますが、 あまり気にも止めずどっちかというと、迷惑気味・・・。 当初は、 蝶 「オオゴマダラ」 が 卵を生みに来てくれないかなぁ。。。と思っていましたが、 まったく その気配はなし。 っていうか、成虫である 蝶々の オオゴマダラも、しょっちゅう見かける訳ではありません。 そろそろ どうにかしないと。山とか 浜に自生している所にでも、 移してこようか・・・ が!!! い   つ   の   ま   に   !!! 結構、 でかい 幼虫も います。昨日今日から ここで成長していたとは思えません。 いったい何時から・・・ いつか、 ここで 金色のサナギが・・・ ここから 「オオゴマダラ」 が誕生 ・・・ とか考えると 嬉しくて堪らないです。 が やっぱり、 幼虫は 気持ち悪い。

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毎年の歳時事なので去年と同じ内容ですが、今日は「四日とろろ」。我が家の決まり事です。他家では「三日とろろ」が定番とも聞きますが、我が家は四日です。連れの実家では三日はうどん! などと云っていましたから、家それぞれの「決まり事」で良いのだと思っています。さてさて、今日から連れは初仕事に出て行きましたので、台所に立つのは相変わらず親爺です。麦飯は既に炊きあがっていますので、長芋を摺下ろし、みそ汁で延ばし、刻みネギと海苔を添えます。おひたしと焼き魚、いつもは鮭ですがお歳暮で頂いた金目鯛を添えました。 この時期の「とろろ飯」、どうやら東北の食文化らしいです。年越し、お正月の過食した胃腸を整える、薬効を考えての事だと聞きました。確かに、七草まで待っていたら今時の御馳走ですから、それでなくとも摂取オーバーの胃袋には優しい限りです。ただし、スルスルと喉越し良く流れ込みます故、しっかり嚼まないといけません。美味しく頂き、今年の健康もこれで万全! と言いたいところです。 新年4日にして雪が舞う正月です。そろりそろりと仕事初めの今日と明日、渋滞を引き起こす程の積雪にならない様に願いたいもの。休みボケの頭と身体、今日辺りから螺子を巻き直すとしますか。

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中央ライナー6号に乗車して来た.高尾19:42発―新宿20:25着で,183系の9連で運転される. 車両は千マリの所属だが,千マリの183系は,4編成のうち3編成が3月改正で捻出されるそうで,3月のダイヤ改正以降は,中央ライナーは,E257系・E351系となる. そこで,お名残乗車となったわけだが,普通席との差額が僅か200円なので,せっかくなのでグリーン車を奮発した.グリーン車の乗客は6人ほどいて,予想より多かったが,或いは筆者と同じ金銭感覚なのかもしれない. 話しが戻るが,183系は国鉄特急色で,9両編成ということもあって,堂々と存在感がある.特急が身近な存在になった現代において,ライト感覚の特急列車が多い中で,重厚なイメージの特急車両は貴重な存在だ. ここで改めて. 中央ライナーは特急列車ではなく,ホームライナーである.通勤時間帯に,入出庫を兼ねて,特急列車も通勤輸送に参加したところ,定員制の着席サービスが好評となった.無駄な回送列車が,発想の転換で安定した収益確保をもたらすようになったのである.なお,昨今のホームライナー事情については,オーミヤさんの記事に詳しい. ところで,筆者が乗車した中央ライナー6号は,下り中央ライナーの折り返しで,夕ラッシュ時において,通勤需要とは逆の,上り方向に向けて運転される珍しい列車である.中央ライナーは,ネット予約などをいち早く採り入れ,盛況だが,さすがに,夕ラッシュ時の上り列車ともなると,需要はそれほどでもないようで,乗車率には余裕がある. 乗車した当日は,C1編成で,編成中には183系よりも189系の方が多かった.189系は,横軽廃止後も,車番の前に横軽通過可能を示す●を付していたが,いよいよ消えていた. グリーン車は,1+2列のゆったりとした配列で,シートは,前後方向だけでなく,横方向にも余裕がある.そのため,何をするにもゆとりがあって,普通車だったら,前後や隣人に気を遣わねばならないような場面でも,気兼ねを必要としない.ただ,今回は僅か40分程度の乗車なので,せっかくのアコモも,そのスペックを持て余す. 車内改札は,端末確認方式なので,基本的にはスルーだ.ネット予約と併せて,湘南ライナーよりもスマートで,要員削減にも繋がっている. 183系のサロに乗車したのは,初めてではないが,いつも思うのは,起動時のドンツキが大きいこと.モハに挟まれた付随車なのと,連結緩衝器の緩衝性能の面で仕方がないのかもしれないが,衝動は直列段を抜けるまで続く.優等列車は,起動回数が少ないため,この問題は救われている.   車内は,客車列車のような静かさで,ジョイント音しか聞こえない.車内改札もなければ,車内販売もない.車販準備室は,シャッターが下ろされている.グループなどの行楽客を意識した列車ではないので,無人の回送列車のような静粛性に包まれている.そんな中,フットレストを動かす音が,時々響く. 八王子と立川に停車したが,我がグリーン車には,立川で2人の乗車があった.特急列車ではないので,速度は上がらず,軽く流す程度のスピード. 高架化されたので,下り列車に乗っていると気付きにくいが,武蔵小金井区にはE233系がほとんどを占め,201系の姿は数える程度.僅か1年の間に,新型への置き換えがかなり進んだ. 20:25,ネオンの明かりで夜もまぶしい,新宿駅に到着した. 東日本管内において,183(189)系の定期列車は数えるほどだが,今回乗車した中央ライナーの183系は,前述のように3月15日のダイヤ改正で置き換えられる. 国鉄時代の車両が,だんだん姿を消して行くのは心情的に淋しいが,国鉄民営化から20年が経ち,変わっていくのは,ある意味,当然なのかもしれない.

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天気もまずまずだったのでオイルとオイルエレメント交換作業を。走行距離516㎞で初回にしても早すぎるけど免許返納まで乗るつもりだって意思表示をしておくかな  と(^▽^;) ジャッキアップしなくていいってのが実にいいですね! 14㎜ソケットつけたロングスピナーでドレンボルトを緩めます それほど汚れてないオイルを排出(;^ω^) 新しいドレンパッキンを付けます オイルフィルターレンチで緩める 手でエレメントを外しますオイルがあふれるのでゴム手必須 この部分が実にいいですよね(^▽^;) 純正エレメントけっこう汚れていました 肘までのディスポのロング手袋で仮止めします こんな感じで潜ってます(^-^) 下から見上げるエンジンルームは実にいい! オイルにまみれたロッドなどをきれいに拭き取って エレメントは16N.m 規定トルクに達すると音と光で知らせてくれます ドレンボルトは35N.m 確実に締めます オイルはエレメント交換時は2.8リットル信頼できる日本製のTAKUMIモーターオイル オイルまみれにしないように養生して 一応レベルゲージで確認して作業完了! 次は3000㎞かな 放尿介助が間に合った(^▽^;)トイレはもたれて体勢を安定させるためのもの(=^・^=) ペットシーツ1枚で済んだ~ 恥ずかしい写真やめてにゃ~(=^・^=) 甲斐バンド-最後の夜汽車cover

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 こんにちわMr.Tetsuoです。 10月も明日で終わり早、11月晩秋です。木枯らし1号も吹いて朝晩だけでなく日中も日陰より日なたが恋しくなってきました。街を行き交う人も厚手のコート姿をけっこう見かけるようになってきました。寒い冬ももうすぐです。このところ鉄道の話題(都電ばかりでしたが)が続きましたが、今回は別の話題です。  今回は姉妹ブログ"彩佳総合通販しょっぷ・店長Mr.Yoshioのドロップシッピング・アフィリエイト奮戦日記”で好評だった記事をこちらのブログでも掲載する事にしました。  今は諸事情から2年前に離婚して17歳の息子と二人暮しの父子家庭ですが、別れた妻と一緒に家を出た今年で19歳になる長女と4人で子供が幼かった小学校の頃まではみんなでいろいろなところに行きました。  その頃は仕事も順調で財布も暖かく幸せないい時代でした。  近くの公園や河原で休日を一日過ごすこともあれば、けっこう遠くの公園に遊びに行ったりハイキングなどであちこちの山に川に、テーマパーク、遊園地に温泉etc・・・  その頃、流行だった“東京ウォーカー”片手に新しく“何”が出来たという情報をつかんでは、真っ先に遊びに行きました。お盆休みと正月休みは木曾路や伊豆・房総半島などに一泊・二泊の旅行にも必ず行きました。  そんなテーマパークや遊園地が、最近どんどんなくなっていきます。娯楽の多様化とかで、集客が思うように伸びず、赤字から破産や閉鎖の道をたどる所が多いようです。  かつて行楽に行った所が次々と消えていくのは、家族とともにいっぱい詰まった想い出が消えていくようで寂しいものです。    以下ここ数年で閉鎖・閉園した遊園地・テーマパークをまとめてみました。  (あくまでも関東周辺で、行った事のあるところ中心です。全国レベルで見ればまだまだたくさんあります。)  (写真はすべてWikipeddiaより)  ユネスコ村(埼玉県)   写真:オランダ風車で有名だった在りし日の初期のユネスコ村   西武鉄道が所有するテーマパーク。 1951年(昭和26年)9月16日、日本が国際連合教育科学文化機関(UNESCO)に60番目に加盟したことを記念し、埼玉県所沢市に開園。世界の建物が一同に並ぶテーマパークでした。 一度休園し『ユネスコ村大恐竜探検館』としてリニューアル。恐竜ブームにのり、一時入場者数が回復しましたが、それも下火になり、2006年9月30日閉園。  ・・・幼かった息子が大きな恐竜を見て泣き出した記憶があります。  小山ゆうえんち(栃木県)  栃木県小山市にあった遊園地。2005年3月閉園。 現在は大型商業施設「おやまゆうえんハーヴェストウォーク」として営業。懐かしい“おやまゆ~えんち~”のCMソングは有名です。  多摩テック(東京都)    写真:多摩テック正面入り口  東京都日野市にあったホンダの子会社が経営していたモータースポーツをテーマにした遊園地および温泉施設。2009年9月30日閉園。  ・・・大学生の頃友人たちと行って、結婚後は家族と何回か行きました。 水車がライドを持ち上げるアトラクションはすごかった。テントウムシのモノレール型ライドなど思い出がいっぱい。ゴーカードコースが長かった。  富士ガリバー王国(山梨県)  山梨県西八代郡上九一色村(現・富士河口湖町)にあったおとぎの国のガリバーをテーマにしたアミューズメントエコロジーテーマパーク。2001年10月28日閉園。  ・・・オウム心理教のイメージを払拭しようと第3セクターを介し上九一色村がサティアン跡地に鳴り物入でオープンさせましたが、巨大なガリバー像以外これといったものがなく、つまらなかった印象があります。閉鎖の情報は“やっぱり・・・” と思いました。  ワイルドブルーヨコハマ(神奈川県)     写真:外観    写真:波のプール・ビッグベイ  神奈川県横浜市鶴見区にあった、年間を通して営業する大型屋内温水プール施設。2001年8月31日閉園。2009年現在、跡地は『ヨコハマアイランドガーデン』というマンションになっている。  ・・・2・3回小学生の娘とまだ保育園だった息子を連れて行きました。波のプールや流れるプールに大はしゃぎでした。ただ入場料が高いしリストバンド式の支払いはついついお金を使ってしまい浪費しました。その後は同じような波のプールや流れるプール・ウォータースライダーのある料金の安い埼玉県深谷市の公営アクアパラダイス・パティオに行くのをシフトしました。  真鶴サボテンランド(神奈川県)  神奈川県足柄下郡真鶴町にあった小田急のテーマパーク。2004年1月5日閉園。 珍しいサボテンが見れるテーマパークでした。  ・・・伊豆に一泊旅行に行った際寄りました。  カッパピア(群馬県) 群馬県高崎市高崎観音山丘陵近辺にかつてあった、上信電鉄傘下の高崎フェアリーランド株式会社経営の遊園地。2003年11月30日閉園。  向ヶ丘遊園(神奈川県)     写真:閉園間際の入場門    写真:大観覧車  神奈川県川崎市多摩区にあった小田急電鉄系の遊園地。2002年3月31日閉園。  ・・・チューリップの形のコーヒーカップや大型の観覧車が印象的でした。花がいっぱい咲いていて綺麗な遊園地だった印象です。何度か行きました。  横浜ドリームランド(神奈川県)     写真:園内にあった旧ホテルエンパイア(現・横浜薬科大学図書館棟)  神奈川県横浜市戸にあった遊園地。2002年2月17日の閉園。

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2月13日に亡くなった、俺の「育ての母」。 2月15日の告別式に間に合うように、俺は、弔電ではなく、母への手紙を贈りました。 その全文をここに掲載します。  お別れのことば                              「お母さんへ」 あなたに、最後の手紙を贈ります。 このお別れの時に、あなたの元に駆け付けられないこと、私自身、無念であり、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。 言葉では伝えられないほど、いま、私の胸の中では走馬灯のように、あなたとの様々な思い出が駆け巡っています。 まず、あなたに何からお礼を言ったらいいのか・・ ただただ、あなたへの想いと涙ばかりが溢れてきて、いま、「ありがとう」という感謝の言葉しか出てこなくて、その中には、本当に多くの思い出が詰まっています。 私が生まれた時、産みの母は危険な病に侵されていて、私もその影響を受け、生死を彷徨う状態にありました。 そんな私に手を差し伸べてくれたのが「お母さん」。あなたです。それから10年ものあいだ、私を実の息子として育ててくれました。今の私が、こうして生きていられるのは、あなたのおかげです。 雨の日も風の日も、私に「無償の愛」を与え続けてくれました。私にとって、あなたの息子であることが、一番の自慢です。 たしか、私が3歳くらいの頃、いたずらばかりしていて、洗濯機に砂を入れて遊んだ時、当然のように、あなたは怒り、私を追いかけてきました。  私は三輪車に乗り、猛スピードで逃げました。 一本道を走り、すぐ下の県道を横切る時、車に跳ねられて、私は空を舞いました・・ 幸い、田んぼに飛ばされたので、無事だったのですが・・ その後、あなたは、よく、その時のことを私に話してくれました。 あなたは、その瞬間、「勝久を死なせてしまったかも・・」と思い、「その一瞬、目の前が真っ暗になった」と言っていました。 私も、あの日の出来事を昨日のことのように鮮明に覚えています。あの時は心配をかけて、ごめんなさい。このほかにも、多くの心配をかけました・・ いま、確実に言えることは、私は、あなたの「愛情」を授かり、ここまで生きてこられた、ということ。 最後になりますが、「お母さん」、あなたに伝えたいことがあります。  私はいま、あなたに約束します。 あなたからの「愛」を受け継いで生きていくということ。あなたが私にくれた「愛」を次の世代へ引き継ぐということ。 それが、私からあなたへの「ありがとう」の想いです。 もう一度だけでいいから、あなたの胸で甘えたいのですが、もう、会えないのですね・・ ご冥福をお祈りするとともに、私もあなたのように、強く優しい「愛」で生きることを誓います。 大好きな大好きなお母さん、これからは「空」にいてください。空を見上げたとき、そこにいてください。     「さようなら。」                          勝久

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 黒く塗りつぶされた影絵のことを 「シルエット」 といいます。  私は、これが人の名前からきているとは知りませんでした。  その人とは、ルイ 15 世時代のフランスの大蔵大臣 エティヌ ・ ド ・ シルエット (Etienne de Silhouette) です。  当時、フランスは相次ぐ戦争で財政が極度に悪化していました。 そこで、倹約家として有名だったシルエットを大蔵大臣に据えて、財政再建のための緊縮財政を担わせました。  それによって、財政が好転したかどうかは、私には分かりません。世界史が大嫌いだから、それを調べる気もありません。調べたくても、そんな本は持っていません。  だから、それはさておき、このシルエット大臣の倹約ぶりは相当なものだったようです。  その一つが、大臣になると慣例として肖像画が飾られることになっていたのですが、シルエットは、自分の肖像画を何色もの絵具を使って描かせるのはもったいないといって、輪郭の内部は真っ黒に塗りつぶさせたということです。  このことから、輪郭だけで黒く塗りつぶした影絵のことを 「シルエット」 と言うようになりました。  まあ、財政立てなおしの成果がどうであったにせよ、自分の名前が後世にずっと残せたという意味では、やはり立派な人物なのでしょう。  でも、よくよく考えると 「シルエット」 のことばには、よく言えば 〈節約の精神〉 の意味が込められていることになります。 悪く言えば 〈ケチ〉 の意味になってしまいますが・・・。  私は、大学に勤めていた時、学生たちからよく言われました。 「先生って、一見まじめな堅物に見えるけど、付き合ってみるとものすごく柔らかくてフレンドリー。 でも、本質はやっぱり頑固な堅物」 と。  で、私は学生たちに言いました。 「おい、そういう人物のことを 〈ナッシーな人〉

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2020年(令和2年)01月23日 木曜日 ブルマは、なぜ消えた? 「ブルマ」は、昭和世代には懐かしい響きだが、今はブルマを知らない子たちも多いと聞く。その昔、なぜ体操着として採用されたのか、そもそもなぜブルマとよばれるのか。謎はつきない。そもそもだが、ブルマなのか、ブルマーなのかさえも、よく知らない。 ネットで用語解説を見ると、ブルマー は、女性が運動などを行う際に下半身に着用する衣類の一種で、ブルマあるいはブルーマ、ブルーマーとも呼ぶ。20世紀に世界的に広く普及した。 日本では、学校教育で体育の授業の運動時に女子の体操着として広く用いられていた。女子バレーボールや陸上競技の選手が試合や練習で穿くユニフォームパンツもあり、用途に応じてバレーブルマー、バレーショーツ、陸上ブルマーと呼ぶこともある。 ブルマーは、19世紀中頃、コルセットで腹を締めるような当時の下着に反発した女性解放運動家エリザベス・スミス・ミラーによって、自由度が高くゆとりのある下着として考案された。これは旧弊な拘束型衣服からの女性衣服の転換という革新的なものであった。諸説あるが、有力視されているのはアメリカ合衆国の女性解放運動家エリザベス・スミス・ミラーの発案を、女性解放運動家アメリア・ジェンクス・ブルーマーが「リリー」誌上で紹介した事により、ブルマーの名称はアメリア・ジェンクス・ブルーマーの名前(ラストネーム)に由来したとする説である。 Amazonで普通に売ってるやんかー。何だ、2500円? そんなもんだわな。 さてさて、本題に戻って「なぜ消えた?」 一昔前は男子ショートパンツ、女子はブルマというのが一般的でしたが、今は男女ともハーフパンツやクォーターパンツです。一昔前は中学校・高校では授業も男女別々で、女子だけにダンス、男子だけに武道などという差がありました。 時を経て、学習指導要領の改定により中高の教育内容は男女同一になり、体育の授業内容も同じになりました。その後選択制の導入も関係し、男女共修が始まりました(実際には今でも、共学校でも男女別修の学校もあります)。 このことが、ブルマからハーフパンツへの移行に影響を及ぼしました。男女同じ授業を男女同じ服装で受けることになった結果、ブルマは消滅しました。 歴史:ブルマは、ブルーマーさんの名前に由来します。19世紀半ばの欧米では、コルセットで身体を締め付け、鯨の髭や鋼鉄でできたクリノリン(腰枠)でスカートを広げた服装がはやり、中産階級ばかりでなく下層階級も着用していました。このような服装を改良したのが、アメリカ生まれのアメリア・ジェンクス・ブルーマーで『膝下丈のスカートとゆったりしたトラウザーズ(ズボン)を組み合わせたスタイル』を着用しました。そしてこのスタイルのことを『ブルマ』と呼びました。友人の服装を模したものだったそうですが、当時は不評で、本人も8年ほどで着用をやめています。その後、1880年代にアメリカのサージャントスクールで女子の体操服としてブルマが採用され、ブルマの名前が残ることになりました ブルマは社会の歴史、特に女性解放の歴史と重なります。コルセットで束縛され、広いスカートで動きにくい身体を解放し、自由で動きやすい服装としてブルマは考案されました。 しかし、当時の女性は自立しておらず、男性から見て美しくなければならなかったため、ブルマが受け入れられることはありませんでした。その後、女性も社会進出を果たし、スポーツに参加するようになると、アメリカの学校の体操着として取り入れられ、その頃には、女性も自らが動きやすいことを考えるようになりました。 日本でも、はじめはアメリカ同様受け入れられず、消えていきましたが、袴やスカートよりも動きやすいので、改良され続けていきました。月日は流れいつしか男子の性的なまなざしの対象となり、誕生した頃とは異なる女性解放の立場で消えていったのです。 「ブルマを採用している学校はもう日本にはない?」は、定説です。誰も実態を調査しておりませんので。

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四国シリーズ続きでーす けど・・・ 博多 はい 昨日は愛媛県松山市にて仕事でしたが、 今日は急遽、九州に飛びました 松山空港より福岡空港へ移動・・・ 飛行機小さっ↑ぐらぐらと怖かったよ~ 福岡県飯塚市にて仕事をして・・・ 食探しまーす 『一蘭 博多駅サンプラザ地下街店 (いちらん)』 http://r.tabelog.com/fukuoka/A4001/A400101/40000139/ TEL 092-473-0810住所 福岡県福岡市博多区博多駅前2-2-1 福岡センタービル B2F交通手段 JR博多駅 博多口より徒歩3分博多駅から224m営業時間 10:00~22:00ランチ営業、日曜営業定休日 無休 個室型とんこつラーメンのお店として有名ですよね~ 約2年半振りかな 九州シリーズおまけ【福岡】~重箱とんこつラーメン『一蘭』の味は如何に!?~http://hide-diary.at.webry.info/200909/article_11.html 前と横には仕切りがあり、 周りを気にせず、 そして食券制のため、 一言も発することなくラーメンを食べることができます “天然とんこつラーメン(690円)”↑半熟塩ゆでたまご(100円)トッピング♪ ずるずる~ この凧糸のような極細麺が美味いんですよね~ もちろん! 替え玉(160円)もしましたよ ごちそうさま~ 都内にも店舗がありますので、 一度は是非食べてみて下さい 天然とんこつラーメン 一蘭http://www.ichiran.co.jp/index_hp.html けど、スープはイマイチかな…(笑) ・・・さて、 今宵の宿は

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 『ビッグコミックオリジナル』2019年5月20日号掲載分の感想です。前回は、ヌカデがトメ将軍の陣地に行き、山社国からの使者と名乗り、トメ将軍との面会を求めるところで終了しました。今回は、トメ将軍とヌカデが会見する場面から始まります。トメ将軍はまず、1日待たせたことをヌカデに謝ります。トメ将軍は那国と暈国の境の陣地を抜け、穂波(ホミ)国に赴いていた、とヌカデに説明します。那軍の半分を東南に移動させ、そこから暈を攻めようとして穂波の将軍に協力を求めたものの、暈と同盟関係にある穂波は即座に断った、とトメ将軍はヌカデに打ち明けます。トメ将軍が率直に打ち明けたことにヌカデが驚くと、色香のあるお姫様には嘘をつけない、とトメ将軍は言います。すると、ヌカデは鋭い目つきでトメ将軍を睨みます。トメ将軍は、ヌカデが紫の衣を着ていたため、高貴な出自と考えていましたが、戦女(イクサメ)か女忍(メノウ)だと見抜きます。自分が女好きなのを知って寝所での暗殺を命じられたのか、とトメ将軍に尋ねられたヌカデは、最初はそのつもりだったが、日見子たるヤノハの命で策を変えた、と答えます。トメ将軍は、ヌカデが自分と対峙する暈のオシクマ将軍を裏切った、と悟ります。  トメ将軍は話題を変え、暈で新たな日見子が顕われ、山社(ヤマト)に逃げ込むという大騒動が勃発した、とヌカデに語りかけます。するとヌカデは、日見子(たるヤノハ)は逃げたのではなく、山社の独立を宣言したのだ、と反論します。トメ将軍は、山社を国にするとは考えたものだ、と感心したように言います。トメ将軍に用件を問われたヌカデは、山社で新たに生まれた国を支持して助けてもらいたい、と願い出ます。トメ将軍に山社を助ける理由を問われたヌカデは、新たな日見子は倭国の支配を考えておらず、国々の自治を尊重するつもりだ、と答えます。トメ将軍に新たな日見子が何者なのか、尋ねられたヌカデは、この百年で初めてトンカラリンの儀式より生還した祈祷女(イノリメ)で、正真正銘。天照大神に選ばれたお方だ、と答えます。するとトメ将軍は、偽物か本物かはどうでもよい、人としての日見子を知りたい、とヌカデに尋ねます。ヌカデは、新たな日見子の名前はヤノハといい、日向(ヒムカ)の日の守(ヒノモリ)の養女で、秀でた戦女だ、と答えます。戦場で会いたかったな、と言ったトメ将軍は、ヤノハのどこを気に入ったのか、ヌカデに尋ねます。ヤノハはこのままでは暈国のタケル王に嬲り殺しにされるわけで、なぜ負ける側につくのか、というわけです。ヌカデは、ヤノハの生きる力に惚れたからだ、と答えます。ヤノハは生き残るためなら躊躇なく百人、千人の命を犠牲にする鬼鬼しき心を有している一方で、倭国を平和にせねばならないと考える賢き心も持ち合わせているからだ、というわけです。自分はヤノハに賭けた、どうせ短い命なら、目的をもって全力で生きたい、と決意を述べるヌカデにたいして、面白いではないか、とトメ将軍は言います。  その頃山社では、ミマト将軍が娘のイクメに、鞠智彦(ククチヒコ)の命に従い、ヤノハを鞠智の里に連行することにした、と告げていました。イクメは反対しますが、イクメの言う通りヤノハが本物の日見子だとしても、勝ち目はなく、自分は戦人なので負ける戦いはしないし、恩のある人を裏切れない、とミマト将軍はイクメを諭します。ミマト将軍は、イクメと同様にタケル王が偽の日見彦だと言知っていましたが、吉野(吉野ケ里遺跡のことだと思います)を捨てた我々一族を拾ってくれた鞠智彦には恩義がある、とイクメに言います。ミマト将軍は、タケル王の命にしたがってヤノハの手足を砕き、目鼻を削ぎたくないし、暈の「日の巫女」集団の学舎である種智院(シュチイン)の祈祷部(イノリベ)の長であるヒルメの命に従い、種智院の私怨にも巻き込まれたくない、せめてもの誠意が鞠智への護送だ、とイクメに説明します。するとイクメは、ならぶ自分はここで死ぬ、一生のお願いなので、自分と日見子様(たるヤノハ)を見逃してもらえないだろうか、と父のミマト将軍に懇願します。ミマト将軍が気づいた時にはヤノハとイクメはどこかに出奔し、行方不明になったと報告してほしい、というわけです。ミマト将軍は困惑した様子で、どこに逃げるのだ、とイクメに尋ねます。するとイクメは、渡海して東に向かう、と言います。豊秋津島(トヨアキツシマ)の日出処(ヒイズルトコロ)にあるという新たな山社を探す、というわけです。豊秋津島とは本州を指すと思われます。筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)の王たちは信じているようだが、サヌ王が築いた日下(ヒノモト)の国はただの言い伝えかもしれない、とミマト将軍は東方行きを諦めるよう、イクメを説得します。しかしイクメは、ヤノハとともに東方に行く、と固い決意を示します。説得は無理だと判断したのか、考えさせてくれ、とミマト将軍は言い、イクメは感謝します。ミマト将軍は話題を変えて、息子のミマアキが帰ってきたことをイクメに伝えます。ミマアキはオシクマ将軍のもと、暈と那の最前線で修行しており、兵500人が増員されたので、ミマト将軍が呼び戻した、というわけです。ミマト将軍は、息子が一人前の武人に育ったことを喜び、イクメも弟との再会をたいそう喜びます。  鞠智の里では、普段は鹿屋(カノヤ)にいるタケル王が鞠智彦と会っていました。わざわざ鞠智の里に来たタケル王に鞠智彦が恐縮して見せると、今や一刻の猶予もない、とタケル王は言います。それほど切迫した事態ではないと思う、と鞠智彦は誤魔化そうとしますが、自分と天照大神を貶める輩が出たのに、何を悠長にしているのだ、とタケル王は鞠智彦を嘆息します。タケル王は焦っているのでしょうが、鞠智彦を信頼しているためか、詰問するといった雰囲気ではありません。今すぐ鞠智彦に預けた自分の手勢を返してもらいたい、とタケル王は鞠智彦に言いますが、すでにタケル王の手勢は暈と那の国境に配備済みだ、と鞠智彦は答えます。するとタケル王は、すぐ呼び戻すよう、鞠智彦に伝えます。1000人の兵で山社を囲めば、偽の日見子も降伏するだろう、というわけです。鞠智彦は、タケル王の手勢は500人のはずなのに、と困惑します。するとタケル王は、オシクマ将軍の兵を含めて千人だ、と答えます。つまり、那との最前線の全軍を山社に向かわせるわけです。那との最前線から山社まで行軍に3日、偽の日見子(たるヤノハ)の拘束に1日、最前線までの帰還に4日の、ほんの8日だけだ、とタケル王は鞠智彦に説明します。すると鞠智彦は、ミマト将軍が日見子を拘束するのは時間の問題だ、とタケル王に進言します。余所者のミマト将軍を信じるのか、とタケル王に問われた鞠智彦は、自信に満ちた表情で、ミマト将軍は絶対に裏切らない、と答えます。  山社では夜を迎え、寝所にいるヤノハにアカメが一連の経緯を報告していました。那と暈の戦況をヤノハに問われたアカメは、暈の兵は1000人で那の兵は500人なので、兵力は暈が圧倒的に優位だ、と答えます。兵数は関係ないだろう、とヤノハに指摘されたアカメは、その通りで、暈の兵は疲弊している一方で、那の兵の士気はきわめて高く、大河(筑後川と思われます)を渡ることさえできれば、トメ将軍の率いる那軍が有利だ、と答えます。何としてもトメ将軍には大河を渡ってもらわねば、と言うヤノハに、ミマト将軍がどう決断したのか、アカメは尋ねます。するとヤノハは、ミマト将軍は律義に人なので、自分を拘束しようと決意したはずだ、と答えます。狼狽するアカメにたいしてヤノハは、指示を伝えます。それは、鹿屋と鞠智の里で、ミマト将軍がタケル王と鞠智彦を裏切り、新たな日見子の下、山社の独立を策している、という噂を流すことでした。飛語は志能備(シノビ)が最も得意とする技なので容易ですが、と言うアカメは、その噂がヤノハにとって吉と出るのか、危ぶんでいました。自分の策が凶と出ても、それはそれで面白いではないか、とヤノハが不適に言うところで、今回は終了です。  今回も、主要人物の思惑と駆け引きが描かれ、たいへん楽しめました。ずっと掲載順が良いので、読者から支持を得ているのでしょうか。まあ、『ビッグコミックオリジナル』が、人気順に作品を掲載しているのか、定かではありませんが。今回まず注目されるのは、これまで何度も言及されており、やっと初登場となった那国のトメ将軍です。トメ将軍は二枚目の優秀な人物といった感じで、違和感のない人物造形になっていました。トメ将軍は那国要人のウラからは信頼されていないような感じでしたが(第14話)、これはトメ将軍が武人として優秀ではないというよりは、庶民出身であることと、那国の方針を巡る対立が関わっているのではないか、と思います。この点も、今後描かれるのではないか、と期待しています。トメ将軍がヌカデの提案にどう答えるのか、まだ分かりませんが、トメ将軍の決断は物語を大きく動かすことになりそうです。  暈では、タケル王がヤノハをすぐにでも事実上の死刑にしたいと考えているのにたいして、ヤノハの能力に興味を抱いている鞠智彦は、ヤノハを鞠智の里に連れてきて、面会しようとしています。タケル王は鞠智彦を信頼しているようですし、鞠智彦はタケル王に少なくとも表面上は敬意を払っていますが、両者の思惑には違いがあるので、二人のやり取りは緊張感のある面白いものとなっています。鞠智彦はヤノハをどうするつもりなのか、まだ明示されていないのですが、優秀なので自分の配下として使おうとしているのでしょうか。  ミマト将軍は、ヤノハと鞠智彦が考えているように、義理堅い武人のようです。ミマト将軍は、今では没落したかつて筑紫島で最大だった吉の国の出身で、鞠智彦に取り立ててもらった恩義に今でも強く感じ入っているようです。しかし、暈では余所者だからということなのか、家族の絆を大事にしているように見えるミマト将軍は娘のイクメに甘いところがあり、今回も、娘とヤノハの逃亡を見逃すべきか、悩んでいました。そこで重要な役割を担いそうなのが、今回初登場となったミマト将軍の息子でイクメの弟となるミマアキです。トメ将軍と同じく今回が初登場となったミマアキですが、トメ将軍がこれまでたびたび言及されていたのにたいして、ミマアキの存在は前回までまったく明らかにされていませんでした。しかし、ミマアキは同じ作画者の『天智と天武~新説・日本書紀~』の主人公である中大兄皇子(天智天皇)と大海人皇子(天武天皇)を足して2で割り、さらに中大兄と大海人、とくに中大兄の邪悪な要素を取り除いたような爽やかな外見になっていましたから、重要人物であることは間違いないと思います。何よりも、ミマアキという名前は、『日本書紀』の御間城入彦五十瓊殖天皇、つまり崇神天皇を想起させますから、その意味でも重要人物ではないか、と思います。イクメは父のミマト将軍に、ヤノハとともにおそらくは本州である豊秋津島へと渡り、その昔サヌ王(おそらくは『日本書紀』の神武天皇)が日向から東征して築いたという新たな山社を目指すつもりのようです。もしイクメの計画通りに話が進むならば、本作の邪馬台国は現在の有力説にしたがって奈良県の纏向遺跡一帯に設定されているのかもしれません。これまでは、『三国志』の記述と本作の地理設定から、現在の宮崎県である日向が邪馬台国で、卑弥呼(日見子)となったヤノハの晩年に纏向遺跡一帯に「遷都」するのではないか、と予想していたのですが、意外と早い段階で舞台は現在の奈良県に移るのかもしれません。私の予想はともかく、魏や呉も登場しそうで、たいへん壮大な物語になりそうなので、今後の展開がたいへん楽しみです。

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