慶応2年1月24日(1866年3月10日)の寺田屋事件で龍馬が使用した銃は、2月6日付桂小五郎宛て龍馬書簡に、「彼高杉より被送候ピストールを以て打払、一人を打たをし候」とあり、晋作より贈られた銃に間違いはない。 写真はスミス&ウェッソン モデル2  アーミー 32口径(Wikipediaより拝借)                当時、入手可能な拳銃の種類は多いが、龍馬が寺田屋で使用した拳銃は、弾を込める場面などから、スミス&ウェッソンの拳銃に絞られる。 ①S&W モデル1は、1857年に開発され、リムファイア式金属薬莢を世界で最初に実用化したシングルアクション式リボルバー拳銃。S&W社の第一号。威力が小さい22口径を使用しているのは、当時のプレス技術ではそれが限界の為。これ以上大きいと、発射薬の爆発に薬莢が耐えられない。しかし、7発装填できる上に小型・軽便で使い易く、南北戦争後日本に多数輸入された。装填は後装中折れ式で、素早い装填が可能。中折れ式とは、銃身を前に折ってシリンダーに弾を込める仕組みの事を指すが、拳銃の場合には、シリンダー中央に星型のエキストラクターが付いており、空薬莢が一度に弾き出される仕組みになっている。口径:22(0.22インチ、約5.56㎜)装弾:7発全長:17. 1㎝(銃身長:8.1cm) ②S&W モデル2 アーミーは、1861年に開発されたS&Wシリーズの第二号、通称アーミーモデル。基本的な機構はモデル1と同じだが、装弾数を減らして口径を32口径に大型化した。この銃によってS&W社のシェアは大いに拡大し、口径の小ささから陸軍の制式採用こそ逃したものの、多くの将校・兵士達に護身用として購入された。有名な軍人カスター将軍が使用していた事でも知られる。口径:32(0.32インチ、約8.1㎜)装弾:6発全長:27. 4cm(銃身長:15,2cm)重量:714g ③S&W モデル1 1/2 ファースト・イッシューは、モデル1を改良し、1865年から製造開始した。口径:32(0.32インチ、約8.1㎜)装弾:5発全長:22cm 1) では寺田屋で使用された銃は、種類は何だろうか? 宮地佐一郎『坂本龍馬全集』・『龍馬の手紙』によると、慶応2年12月4日坂本権平、一同宛て龍馬の書簡で、寺田屋襲撃について精しく報告している中に、「六連炮 を取りて、」「銃ハ元ヨリ六丸込ミな礼ども、其時ハ五丸のミ込てあれば実に跡一発限りとなり」とあり、続いて残り一発も撃ち幕吏に向け五発を撃ったことを記述している。弾を撃ち尽くした後に銃に弾を込める回転式弾倉を図示されているが、この図には銃弾を込める穴は六丸ではなく五丸しかない。 この書簡に五丸の図示があるため、たとえば『坂本龍馬日記』の著者のように、龍馬がこの時使った銃は、従来「S&Wリボルバー」の新型(モデル2 六連発)といわれているが、旧型(モデル1 五連発)であれば龍馬が書簡で図示した通りであり、銃は旧型の可能性が高い、などの迷説を唱える人が現れることになる。 しかしこの主張は、書簡の中の銃についての記述、六連発であること、弾は五発しか込めていないこと、幕吏に向け五発を順次具体的に撃ったこと、などの事実を無視していることから到底認められない説である。 この慶応2年12月4日の書簡は、原書簡は行方不明になっている。龍馬は、書簡の初めに「此手紙もし親類之方などに御為見被成候ハバ必ず必ず誰かに御書取らセ被成候て御見セ。・・・・私手紙ハ必ず必ず乙姉さんの元に御納め可被遣候」とあり、龍馬はオリジナルの書簡は乙姉さんが持ち、親戚へは写しを見せることと念を押している。『龍馬の手紙』に収められているのは、オリジナルの書簡ではなくあくまでも書簡の写しである。 実は、書簡の写しの一つが弘松家にも残っている。(京都国立博物館 『坂本龍馬関係史料』) こちらの写しには、回転式弾倉として、明確に六丸が図示されている。『龍馬の手紙』の書簡の写しの図は、むしろ写し間違いの可能性が非常に高い。 従って、結論としては、寺田屋で龍馬が使用した銃は、S&Wの新型(モデル2 六連発)とみなすことができる。 2) この銃は、晋作から贈られたものであるが、晋作はどこで入手したのであろうか? 東行庵の図録『高杉晋作と奇兵隊』には、「日誌によると上海で晋作は拳銃2挺を入手した。そのうち1挺は帰国後、下関を訪れた坂本竜馬に贈っている。SMITH & WESSON MODEL 2 ARMYとよばれる米国製6連発拳銃で、南北戦争直前から生産が開始され北軍将兵の32口径ベルトサイズ・レボルバーとして愛用された。竜馬は一度これを使ったが、晋作はついに使用することがなかった。高杉家は遺品の中にあったのを靖国神社資料館に寄託したが第2次大戦の終了後、占領米軍によって接収され、所在不明になった。」とある。 高知県立龍馬記念館のHPには、龍馬が愛用したといわれるスミス・アンド・ウェッソンのピストル、として以下の解説がある。 「スミス&ウェッソンⅡ型アーミー 32口径(真物はアメリカ製)回転弾倉付き6連発高杉晋作が上海で購入。慶応2年1月、下関から薩長同盟締結に向かう龍馬に贈った。寺田屋事件の際このピストルで応戦するが、手に刀傷を受けピストルも紛失する。」とし、東行庵と同じく、晋作が上海で購入したとする。 晋作は、文久2年(1862)、幕府の船千歳丸に便乗して上海に渡航し、その間のことを『遊清五録』(『高杉晋作史料』 第二巻)に書き残しており、上海では少なくとも二挺のピストルを求めている。6月8日の条に「午後到蘭館、求短銃及地図」6月16日の条に「与中牟田外行至米利堅人店、求七穴銃」 まず、6月16日に佐賀藩士中牟田倉之助と共に出かけたアメリカ人の店から購入した、弾倉に7つの穴のある独特の七連発銃は、当時出回っている拳銃からみて、S&Wの旧型(モデル1 七連発)とわかる。従って、これは寺田屋で龍馬が使った新型六連発銃ではない。 6月8日にオランダ商館から購入した銃については、詳細な説明がないため分からない。これが、S&Wの新型(モデル2 六連発)なのだろうか? S&Wは、金属薬莢を使った初めての銃で、南北戦争では随分使われた。南北戦争の期間は、1861年4月12日~1865年4月9日    和暦では、文久元年3月3日~元治2年3月14日 S&W旧型は1857年に開発・製造開始され、S&W新型は1861年から製造販売された。Wikipediaによると、新型は、「南北戦争直前に販売を開始したが、北軍将兵に売れ行きが良く、1862年には予約数が向こう3年分の生産予定分を上回っていた」と言う。 Wiipediaの説が正しいとすると、アメリカで南北戦争が始まっていて、予約数が向こう3年分の生産予定数以上もあった銃が、果たして上海で手に入ったであろうか?アメリカ人の店からも旧型のモデルしか入手できない状態で、オランダ商会から入手できる可能性はかぎりなく低いと思われる。 従って、晋作が上海で購入した銃は、寺田屋で龍馬が使用した銃ではない、と結論してもよさそうだ。 では、晋作は、龍馬に贈った新型銃を、いつどこで入手したのだろうか?これは、あらためて、論じてみたい。 幕末の洋式拳銃について、以下のHPを参考にしましたhttp://freett.com/sukechika/ishin/wepon/ishin08-04.html 「

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“花猫治療室”です 以前ご紹介しました22歳のホームレス青年“22歳のホームレス青年に会いに行きました。”(YouTube取材当時は21歳でしたが10月30日がお誕生日で現在22歳です) 彼が暮らしていた児童養護施設では長年にわたって、職員(主に園長の息子である当時の副園長)による子どもたちへの虐待が続いていました。彼は「命をかけて」この問題を告発する覚悟で路上生活を続けています。 市民団体「施設内虐待を許さない会」の竹中勝美事務局長がYouTubeを見た方から連絡を受けて、彼の支援に乗り出してくれました。オンラインでシンポジウム【児童養護施設の子ども虐待を当事者が告発する】が開かれたので私も参加しました。50名以上の人が参加し、マスコミも7社が取材に来ていました。彼ともうひとりの卒園生が生々しい虐待の様子を語ってくれました。 事務局長の竹中さん自身も虐待された経験を持ち、今までにもいくつもの施設虐待を告発して改善させて来た経験があり法律にとても詳しくて力強い助っ人です! その時の様子をNHKが記事にしてくれました児童養護施設の虐待防止シンポ その後やっと施設側が多くの虐待の中からほんの一部だけを認め謝罪しました。この件もNHKが記事にしています。施設名も明記されています。埼玉県熊谷市の児童養護施設「雀幸園」です。児童養護施設が虐待を一部認める 東京新聞に詳しい記事が… モップの柄を足の間に挟んで正座…虐待の一部を認め謝罪 熊谷の児童養護施設 今回、認めた虐待の内容は…『7年前から8年前に当時の副園長がモップの柄を男性の足に挟んで正座をさせたことは事実だと認めた』実際にはもっと酷い内容で、副園長がいない間にモップを外していたら再度モップを挟み太腿の上に大柄の副園長が足を乗せて体重を掛けたそうです。これは拷問ですよね!施設外で行われたら犯罪で捕まるほどのものです。いつまでも調査中にせずしっかりと対応して欲しいです。 虐待を受けたのは彼ひとりだけでありません。今日、卒園生の方が「虐待を見たけれど黙認して来たがあの施設で何が行われていたのかを全て話したい」とTwitterでツイートされていました。 児童養護施設には国と自治体から補助金が支払われています。私たちが払っている税金が使われているのですから、これは私たちの問題です。この世に産まれてきてくれた子どもたちがひとり残らず幸せに暮らせる国にするのは大人の責任です。 彼は実名を名乗って告発しています…これからも私は尾中祐樹さんを応援していきます。 祐樹さんが路上生活を続ける理由を語っています。 前回の記事に貼りましたが…施設での虐待について語っています。 朴保「未来へ」“子どもたちの瞳の中を覗いたら、丸い地球が見えて来た”で始まるこの歌が大好きです

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2018(平成30)年12月21日 金曜日 好き・惚れる の違い 好き惚れるの第一弾。第二弾も期待してね。執筆中。 これまでブログでは多くの「好き」について書いてきました 2018.10.06 好きの基準https://yake8.seesaa.net/article/201810article_91.html 2018.10.05 好きとは何かhttps://yake8.seesaa.net/article/201810article_14.html が、本当によくわかりません。何が? 「好き」と「惚れる」の違いですが。調べました。 「恋愛」関連ブログを読みたい方は、ブログカテゴリー「恋愛」を選択してください。 ●「好き」 辞書によると「好き」とは 1 心がひかれること。気に入ること。また、そのさま。「好きな人」「好きな道に進む」⇔嫌い。 2 片寄ってそのことを好むさま。物好き。また、特に、好色。色好み。「幹事を買って出るなんて、君も好きだねえ」「好き者」。 人に例えると難しいので、猫とバナナにしましょう。 「私は、猫(バナナ)が好きです」 好意はあるものの、独占したいとか、どうしても手に入れたいというほどの強い感情はないですよね? 好意の「好き」は、愛と言う感情の始点ですよね。はじまり、これからのものですから、この時点では、感情のコントロールが可能です。 別の何かと比較したら、猫(バナナ)を選ぶが、どうしても猫(バナナ)でなければダメというほどのものではないですよね。 ●「惚れる」 辞書によると「惚れる」とは 1 異性に心惹かれ夢中になる。恋い慕う。「女に―・れる」 2 人物や物事の魅力にとりつかれ、心を奪われる。心酔する。「心意気に―・れる」 では、こんなのはどうですか? ・「あなたが、好きです。」・「あなたに、惚れました」 言われて、どっちが強い気持ち表現だと感じたでしょうか? 「惚れる」には、好意の終点に近い感情です。これ以上の好きはない。独占したい、手放したくない、という自己占有欲の現れです。辞書にあるように「とりつかれた状況」です。 だから 「一目惚れ」は、好きを超えてとりつかれているのです。「惚れる」に至っては、もはや感情のコントロールは不可能です。恋は盲目ということです、 珍品コレクターには、こんなもの集めてどうすんの?と思いませんか?これも、それら「珍品?」に惚れてしまったんです。独占したい、手に入れたくて、たまらないのです。 告白で一発勝負に出るなら 「あなたに、惚れました」がベストですが、相手から「重すぎる」と嫌われる可能性も高くなります。やっぱり、告白は「好き」程度に抑えておくべきか、それは、あなた次第です。 人・物との出会いがあってこそ「惚れる」のであって、テレビの俳優に「惚れた」とはならず「好き」でしかないのです。「好き」な人・物との出会いがあって「惚れる」ものなのです。

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神々が死に絶え、世界が一度終わる北欧神話世界のクライマックス「ラグナロク」。その場面はよく知られているものの、そこに至る直接原因が語られることはあまり無い気がする。この破滅はロキが導いたものだと勘違いされていることもなぜかあるようなのだが、結論から言うとロキは大したことはしておらず、オーディンら主要な神々の判断ミスである。 直接原因は、神々が契約を破ったことによる。「巫女の予言」で、以下のように書かれている箇所である。 そこで、裁き治める神、いと尊い神々は、こぞって裁きの庭に出て、協議をこらした。そもそも何者が空中に毒を混ぜ、巨人の輩にオーズの妻をとらせようとしたのか、と。 トール一人だけが、怒りにまかせて、打ってかかった。このようなことをきいて、座視している彼ではなかった。彼らの間で交わされた誓い、約束、誓約、すべての固い取り決めは破られた。 (谷口訳) そこでソールはただひとり怒りにかられて殺した,さようなことを聞き知ると彼は腰をおちつけていることは稀だ. 誓いは踏みにじられた,約束の言葉も誓いも,神々と巨人のあいだにとり交わされし厳かな取り決めすべては. (菅原訳) 神話の大きな流れとして、世界で最初の戦いはアース神族とヴァン神族の間で起きたことになっている。2つの神族は和解し、ともに人質を交換しあい、協定を結ぶ。しかしその戦いで神々の城壁は傷ついており、再建築が必要となった。そこで巨人の大工が呼ばれるが、大工が求めた報酬は、期限までに城壁を直し終わったら太陽と月と女神フレイヤをくれ、…というものである。(この場面はワーグナーの戯曲にも使われている) 神々は最初難色を示すが、どうせ間に合うまいというロキの口車に乗って大工に任せる。しかし事前の予想に反して、工事は順調に進み、このままでは約束した報酬を支払わねばならないという状況に陥ってしまった。そこで神々はロキに命じて工事を妨害させる。さらに、巨人殺しのトールは妨害に怒って巨人の正体を表した大工を撃ち殺してしまう。 それが、「誓いは踏みにじられた 神々と巨人のあいだにとり交わされし厳かな取り決めすべては」と言われている部分のバックストーリーである。 城壁の修復に巨人の大工を引き込んだのは、たしかにロキの策略かもしれない。しかし壊れた城壁を直さねばならなかったのも、直すために巨人や小人たちといった外の世界の力に頼らざるを得なかったのも事実である。ロキは持ち前のお調子者であとのことを考えなかったにせよ、神々の求めた助力を迅速に齎しているのである。彼は彼の指名を果たしている。責任を負うべきは「太陽と月とフレイヤ」という報酬で契約を行い、相手の死をもって契約の不履行を正当化しようとした神々自身にある。 「誓いは踏みにじられた」とだけ書かれ、ここでは具体的に記されていないが、ここでいう契約とは世界の秩序を守る力、神の威光のようなものだろうか。それを失ったことにより、神々はいずれ巨人たちの侵入を防ぐことができなくなるのだ。 あるいは、こう考えるのもアリかもしれない。古代北欧は「血讐」の世界である。ある一族の者を不当に殺すということは、その一族が贖いを果たすまでは復讐対象として的にされることも意味する。巨人の大工を殺したことにより、神々の一族は巨人族と明確な敵対関係に入り、いずれ互いを滅ぼし合う宿命を背負ってしまったのだと。 ちりばめられた神話のエピソードを時系列に並べ、一本のストーリーを描くことは難しい。それに意味があるのかは分からない。ただ確かなことは、オーディンはこの時から「世界の終焉」を予見し、最後の戦いに向けて準備を開始するはずだということだ。 具体的には、優れた戦士が死亡した際に天の国ヴァルハラへ迎え入れ、来るべき最後の戦いに備えるということ。しかし、優れた戦士が死ぬためには、人間界が常に争いに満ちていなくてはならない。かくてオーディンは「戦の父」、それも不和を好む災いの導き手として人間界を混乱に陥れ続ける神となる。実際に、オーディンが居なければ起きなかった戦い、死なずに済んだ英雄たちは神話上に多数存在する。世界の終焉を回避しようとするオーディンの行動そのものが、世界を破滅へと導いているとも言える。北欧神話の世界観として「運命には絶対に逆らえない」という絶対のルールがあるが、それは最も力を持つ神であっても変えられぬものなのである。 オーディンが犯した大きな過ちはもうひとつある。ロキを束縛してしまったことだ。ロキは神々に厄介ごとももたらすが、神々自身が解決できない困難な問題をどうにかできる唯一の存在でもある。神々の力は有限で、自身では城壁や道具といった「何か」を創りだすことが出来無い。オーディンの持つグングニルやドラウプニルの腕輪、名馬スレイプニル、トールのハンマー、フレイの船など、神々の持つ力ある財宝の大半はロキが関わることによって生み出されてきた。 そのロキを束縛してしまったために、以降、神々は新たな力を手に入れることが出来なくなった。そのために、たとえば、剣を失ったフレイ神は最終決戦では鹿の角を手に戦わざるを得なくなる。 このようにラグナロクは、神々の、特にオーディンの判断ミスが招いた世界経営の失敗と見なすことが出来る。いずれ経営破綻に至る大きな判断ミスをしたことに気づき、何とか立てなおそうとあの手この手を打ったところが余計に経営が悪化し、更迭する相手を間違えたことが致命傷となって一気に倒産に至る。北欧神話の世界は、そのストーリーのごく初期の所で既に破滅の伏線が張られている、「終わりに至るまでの世界」なのである。

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A さんは 3 年前に B さんから 150 万円を借りましたが,少しずつ返済してきて,このたびようやく完済となり, 2 人の貸借関係はこれで帳消しになりました。 この例のように, 「帳消し」 ということばは, 2 者の間にあった金銭の貸借関係が返済等によって,その関係が解消することをいいます。 これは,普通は,お金を貸した方が,帳簿につけておいた 〈貸した金額〉 などの貸しについての記述のところを,完済されたことを受けて,そこに線を引くなどして 〈消す〉 ことからきたことばです。 〈帳簿から消す〉 ことで,両者の貸し ・ 借りの関係が解消したことになります。 もともとは,そのように金銭の貸借についてのことばでしたが,次第に,金銭にかぎらず,恩情とか義理が絡む行為の貸し借りについても使われるようになりました。 例えば, C さんが, D さんの息子さんの就職のために, C さんの会社の取引先にいろいろ口を利いてあげました。そのことで, D さんは C さんに借りができたことになります。 数年後, C さんの父親が大病を患って,難しい手術をする必要があったのですが, D

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今日第二農園に行ってあちこち様子を見ていると、んっ、何か変? いや、草にしてはおかしいなあ、何だろう。ダイコンの中から何やらニョキッと出ているんだよね。近づいてよく見ると、何と薹が立っているんだ。 うわっ、こりゃ大変だ。 てんで見てみると。 何と全てのダイコンに薹が立っていて。 ウソだろう、こんなの見たこともないぞ。 でも、ちゃんと立っているからねえ。 ほら、こちらも。 えー、なんで? だよねえ。 だって、冬ダイコンなら春先に薹が出て花が咲くことも珍しくはないよねえ。 でも、これは春蒔きの夏ダイコンだよ。 こんなものが薹立ちするなんて、金輪際見たことも聞いたこともないからねえ。 何で? おかしいよね。 この品種はいつも使っているやつで、耐病総太りというやつだからね。もう何年も使っていて、こんなことは一度もなかったからねえ。 こんなの初めて見たよ。 これは3月29日に種蒔きをしたものだねえ。 これは直ぐに芽が出るからね。 その後が問題だったかも。 いやー、桜が咲いていい季節になったと思ったら、いきなりの冷え込みでね。桜も咲くのを途中で止めてしまったくらいだからね。 だから早く咲き始めた割にはなかなか満開にならずに、今年は長い間桜を楽しめたんだよね。 その間に何回も霜注意報が出るほどの冷え込みでねえ。もしかしたらこれが薹立ちの原因かも知れないねえ。 ダイコンでも何でも同じなんだけど、冷え込んだ後急に暖かくなると、これは春が来た早く花を咲かせなければと思うんだなあ。 そう、冷え込みで薹立ちのスイッチが入るんだ。 確かに例年よりは少し早めに種を蒔いたんだけど、こんなことになるとはねえ。 でも、仕方がない、これはもう諦めて撤収してしまおう。 てなことで全部抜いて廃棄処分に。 でも、このままでは胸くそが悪いので、もう一度種を蒔いてやろう。 そのためには草退治をしないことには。 てなことで、大急ぎで草退治。 取り敢えず大急ぎだからね。 もう雨が近くて、やっているうちにも細かなのがチラホラ。 丁寧な除草なんてやっている暇はないよ。 まあ、ここまでやっておけば何とかなるだろう。 ところでもう一種類の三太郎はと見ると。 こちらはまだその気配はない。 いやー、これは無事に育ってほしいもんだねえ。 こんな時期にダイコンが薹立ちするなんて、初めての経験。 うーん、こんなこともあるんだねえ。 ということで、今日は本当にビックリこいたお話しでした。 ありがとうございます。 明日もきっと良い日であります。 ヒゲおやじ

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丹波市氷上町の沼城山麓東端を県道7号は北西方へ曲がり込んでいくが、右折し加古川を渡り芦田氏本拠の小室城のある芦田川沿いに県道109号が丹波市・福知山市境の穴裏峠に向かう。 榎原川沿い旧道に建つ古民家カフェ”しおん” 芦田氏は平安時代中期:信濃国芦田邑(長野県北佐久郡立科町)からの丹波押領使としての最古参。穴裏峠を福知山市榎原へ超えるが中榎原?附近から正明寺・篠尾へ抜ける途中の小野脇を通る。  観瀧寺前で府道に合流する旧道の正面にヒエガ谷城の山影 小野小町伝承の地で小野小町と薬師堂・東芦田の少将石二つの伝説が残る。時代的に少しズレがあっても…小野小町の思いを寄せて小町の元へ百日通った芦田の少将を源氏物語の「深草の少将」に充て小室城主:芦田八郎金猶であったと…。 伊勢平氏:平維衛を祖とする榎原氏の領地だけに平家隠れ里伝承が真実味をもって伝わる険しい穴裏峠を越え小野小町の里へ通った「芦田の少将」の心境を現わした様な名前のカフェしおんさんへ今日はランチに伺った。「しおん」より”アスター”の呼び名が馴染みだが…  榎原川沿いの”しおん”上流では未だ護岸工事中… しおんの花言葉を忍耐・優美・繊細・愛の象徴といい、また平安後期の今昔物語に起因するらしく追憶・君を忘れない・遠方にある人を思うとも云われる。二つの伝説地を繋ぐ榎原谷が和久川に流れ出る口榎原に古民家カフェ しおんが昨年(2015)オープンして1年。市街地にあった古民家カフェ!!?から口榎原に移り再スタートされた古民家カフェ。  センター道路側は自在鉤を残す囲炉裏風の席 しかし地元に溶け込んだコミュニティー・カフェの雰囲気はオーナーママさんの確りした働き者で明るい気性が伝わる居心地良さなのでしょう。モーニングの常連さん・別室のご婦人方も・ランチ待の人たちも殆どがお知り合い。周囲の流れで:つい話に入ると、おばちゃんからは飴の差入れ… 常備薬並みに飴ちゃんを持っているのは「大阪のおばちゃん」だけではないんですョ… 福知山市街地からはR9号新庄Y字交差点で左折R429号…和久川沿い口榎原で府道109号(穴裏峠越え丹波市青垣町へ)分岐を国道側約200m程:榎原橋手前の三叉路を左折すると目前の川沿いに面した民家が”カフェしおん”。府道109号南からは観瀧寺手前で西へ分岐する榎原川沿い地区道(旧道)のR429号合流地点直前の左手。店内には地元福知山産の桃や野菜類の販売もされている。  本日の日替り(味噌汁は湯葉入り!) 和食中心のランチ食材も地産地消に努められているものか?。味噌汁に湯葉が!!貴重?で珍しいと思ったが、直ぐ近くに豆腐屋もあった。玄関内の下足箱があるが名前が入っているので遠慮したが、常連さんが分かるように自前の名札を挟まれているのかな?。席待ち兼ねたソファー席・テーブル席・囲炉裏を囲む様なスペースや座敷席もあって、部屋全体が明る過ぎない昭和レトロの田舎暮らし雰囲気が素敵。ウッドデッキのテラス席から見える目前の杜(天満社)が口榎原砦。   

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キッチン廻りの道具が古くなったので、思い切って色々と買い換えることにした。まずは25年ほど使ったフッ素加工の中華鍋。大きさが33㎝のものがなかなか無かったことと、長年の愛着で手放せなかったのだが、今回思い切ることにした。それに合わせて油温度計を買った。今まで目感覚で計っていた油の温度がどれくらい違うか?も試してみたかったが、本音は娘に料理に興味を持って貰おうと思ったこと。 ねらいが当たるかどうか?は、これから先の話になるが、思い切って買い換えた新品の中華鍋は驚くほど軽く、以前の鍋の半分の重さしかない。早く買い換えれば良かったと後悔するが、そこは年寄りのもったいない病。思い切るまで数年かかってしまう。 さっそく新しい道具で何を作ろう?と思い立ち、スーパーで安売りの鶏の手羽元を買い込み、娘の好物の”素揚げ”を作ることにした。 鶏手羽元の素揚げの作り方 ●材料手羽元          18本くらい※手羽先でも美味しくできます。お安い方で作ります。 塩、胡椒          適量 ●作り方手羽元を良く洗って、バット等で水気を乾かしておく。 揚げる前にクッキングペーパーで、残った水気も良く取っておく。 揚げ油を150℃に熱したら、手羽先を入れる。 しばらくそのままにして、鍋面側に火が通ったら裏返し、何度かひっくり返しながら、皮目全体に火が通るように揚げる。 ある程度火が通ったら、一度油から取り出す。 油の温度を180℃まで加熱したら、再度、鶏肉を入れ良くかき混ぜながら、きつね色になるまでカラッと揚げる。 色良く揚がったらバットで軽く油を切ってボールに移し、塩胡椒を絡めたら出来上がり。※塩味は少しきつめの方が、美味しいと思います。

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東京 ・ 駒込の 『東京千鳥屋』東京には、昭和39年に進出したそうで、和菓子だけでなく、チョコレートなどの洋菓子も扱い、今ではあちらこちらで店舗を見掛けるようになったので、新しいお店なのかと思っていたら、1630年創業の千鳥屋…超老舗!で、ビックリしました。そういえば、九州や大阪の 「千鳥屋」 というお店のお菓子を貰った事がありますが、暖簾分けなどで、各地に色々な千鳥屋があるのかな… “東京あずきグラッセ~薄露”2006年EUモンドセレクションの金賞を受賞!外側は砂糖でガッチリとコーティングされています。(下に置くと、コツコツ音がするくらい!)その中身は、北海道JA長沼と契約栽培をした 「アカネ大納言小豆」 を柔らかく煮て、寒天で寄せたものです。シンプルですが、小豆の粒々感と、砂糖のガリガリッとした噛み応えが特徴で、ありそうでないタイプの和菓子です。

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 高校時代に使っていたウッドラケットにナチュラルガットを張ってスクールで使ってみた。よくWebで書かれている通り、スウィートスポットが狭く、ボールの反発力が低い。そして、スピンがかけづらい。しかし、慣れると意外と良いショットが打てるものだ。現実に高校時代は使っていたのだから、全くボールが打てないという事はなかった。むしろ、ラケットが重い分、サービスは威力が増した。逆にフェイスが小さいのでリターンはボロボロだった。当時、サーブアンドボレーが主流だったのが良く分かる。 ところで、ウッドラケットを使いこなすため、試行錯誤している内に驚くべき事に気が付いた。このブログではたびたびテニス雑誌が嘘ばかりだと述べてきた。しかし、ウッドラケットについてはテニス雑誌の言う事は正解ばかりなのだ。 例えば、ウッドラケットはスウィートエリアが狭く、反発力が低いので、スピンをかけるのは非常に難しい。従って、面を伏せず、厚い当たりで押し込む様に打つ事が有効だ。そして、ラケットが重いのでボールをひっぱたく事が難しい。スクエアに踏み込んで体重移動で打つ方が威力のあるボールが打てるのだ。ボールに打ち負けないためには打点を前にする必要がある。バギーホイップショットなどは全く不可能だ。打点を後らせると驚くほど筋力が必要になる。要するにプロでなければボールコントロールができないのだ。 ボレーもきちんとスライスをかけてスウィングしなければボールが飛ばない。また、スライスショットも現在主流の回転過多のボールではうまく飛ばない。むしろ、軽いアンダースピンのかかったフラットの方が威力が出る。こうした対応はテニス雑誌に書かれている事ばかりだ。 テニス雑誌は実は30年以上前のウッド時代の理論をベースに書かれている。実際、解説しているコーチは50歳前後であり、現役時代はウッドラケットを使用していた者達だ。彼らは若い頃から全く道具の変化に適応していないのだ。これは深刻な事態で、趣味でやっているアマチュアテニスなら許されるが、お金を取って若者に指導している立場の人間に許される事ではない。しかし、こうした旧態依然としたサービスはサービス産業では当たり前で、例えば、日本の旅館などは宿泊すると未だに浴衣を着せられて風呂にぶち込まれる。そして、食事を済ませたら寝るだけだ。自由な時間など全く無いのだ。 こうした事実は自分で確認して初めて実感できる。マスコミは嘘ばかりなので鵜呑みにはできない。スポーツに限らず、あらゆる分野でこうした実験は有効だ。特に良く起こる事が、他人に合う方法が自分には全く合わない事だ。当然ながら個人差というものが存在する。万能な方法など存在しないのだ。単純に考えてもスタミナタイプと瞬発力タイプでは適した方法論は異なる。自分なりの方法を見付ける。これがあらゆる分野で通用する成功法なのだ。従って、自己啓発本などを読むのはその時点で敗北なのだ。

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