どもども、ちょーっと気になったので調べてみましたが特に一覧化されてる情報が得られなかったので表にしてみたつんでれいふぉうです。 いやいや、気になるよね。本気で。 いつまで免罪装備が通用するのか?的な。 当然後発であるレリックサイキョーでしょ、とか。 いやいやコンビネーション命中回避あるAFなめんなよ!!とか。 ナイトだから敵対!!敵対!!とか。 いやいやいやいやカット出来なきゃナイトじゃないでしょ。とか。 まぁそんなこんなで気になってしまって。 AFであるレベランと、レリックであるカバラリ、そんでもってナ戦装備だけどかなり優秀な免罪のスヴレン。 まぁ本当はスレビアも候補に上げようと思ったんだけど、 カットと命中位しかなんか目立った所ないし敵対ないから常用としてはどうなのかな…的な感じで除外。 とりあえずまず頭装備から。 オグメは他のブログ主さん達を参考にしてみた。 頭はDで、他がCな感じが一般的?なのかな。ソース総数は少ないからブレブレだけど。 そこはまぁ気にせずに。 ダントツなのがやっぱスヴレンのHPだね。 敵対心ないのが惜しい感じに。 ただまぁここでD選んでおかないと、他に付いてる対物理の能力がなくなっちゃうのがね。 せっかくHP総数でダントツになっておきながらカットが疎かになってしまっては意味がないしね…。 敵対心はまぁ他で稼げるから…みたいな。 あ。今気が付いた。ケアル回復量タイプDじゃ付いてないじゃん…。 後は他より群を抜いてるのがVITかな。 INT、MND、CHRが死んでるけど。 まぁこっちのステはあんまり盾ジョブでは関係ないかね。 さて、お次は胴。 ここでまた群を抜いてるのがスヴレンの胴だね。 圧巻の敵対心20。 レベランともカバラリとも+3でも10なのに、ここで20だからね。 カットは横並びでどれもまぁまぁおんなじ。 物理魔法共に効果があるから大事ですね。 命中がレベランだけ足りてない感じがするけど、HPだけ見ると一つ頭抜けてる感じなのですよね。 そこはコンビネーションで補う感じですかね。 お次は手。 相変わらずぶっちぎりでなんかおかしいくらいHPがスヴレン。 レベランから見たら倍だからね…なんなのこれ。 あとカバラリだけ被魔法カットが不在だね。なんだろうね。 さて脚。 防御とかHPとかで見るとどっちもどっちな感じ? AFもレリックも物理カットの所、 何故かスヴレンだけ被ダメカットになってるね…。

Read More

当方のネット環境「フレッツ光ネクスト」で、「ひかり電話あり」です。なおレンタルしている網接続装置はRV-230SE(網側はVDSL)です。もちろんプロバイダがBIGLOBEです。 RV-230SEはもう10年以上使っているのですがLAN側は100Mだし、せっかくIPv6オプション入れてもブリッジしかしないからIPOE接続なんてできないしもう勘弁して~といことで自宅NW構成変更しました。 現在はRV-230SE(VDSLモデム部のみ)+ヤマハNVR510でIPv6 IPoE+ひかり電話の運用にしました。当方ルータには詳しくなく、ひどい目にあったので備忘録を。 なお、この情報は2020年2月16日時点でのものです。この先接続先の状況や、ルータの機能変更などでよくなったり悪くなったりするかも知れません。あしからず。 1.RV-230SEのルータ部を切り離す VDSLモデム部だけあれば十分なのでルータ部を切り離せないかということで調べたら 諸先輩の方々の情報ありました。感謝です。  こちらの方は後述のNVR510のコンフィグも参考になりました。 https://wkblg.blogspot.com/2018/ こちらの方はRV-230NEでしたが参考になりました。 https://yfunada.tumblr.com/post/74601927490/rv-230neb%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%84%E3%81%AB%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%A0%E3%81%A8%E3%81%B2%E3%81%8B%E3%82%8A%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E3%81%AE%E6%A9%9F%E8%83%BD%E3%81%A0%E3%81%91%E6%AE%8B%E3%81%97%E5%88%A5%E5%A3%B2%E3%82%8A%E3%81%AE%E9%AB%98%E9%80%9F%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%81%AB%E9%A0%91%E5%BC%B5%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%82%82%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%BE 2.ルータ部の代替えとしてヤマハNVR510を導入  ルータ部+電話IFが必要だったため検索していたらこれが引っかかりました。 見た目が好みだったのとIPv6 IPOE接続対応って書いてあったので深く調べずに購入。  まぁ、IPv4PPPoE+ひかり電話はすんなりつながりました。 しかしIPv6 IPoE+ひかり電話がつながらない、と。 3.IPv6 IPoE接続 – NVR510のコンフィグ  NVR510でBIGLOBEにIPoEでつなげるにはメーカサイトのコンフィグではダメらしいということで 以下のサイトさんの情報を元にトンネルを掘りました。感謝です。  RTX830ですがIPoEだけなら原理は同じなので参考になりました。 http://www.foxperia.com/wp/?p=105 RTX830ですがIPoEだけなら原理は同じなので参考になりました。 必要なIPアドレス情報もありました。 https://wkblg.blogspot.com/2018/  なお、IPv6アドレスの取得については当方の環境ではDHCPv6-PDでは取得できず、RAでないと ダメでした。  公式の情報を参考にしたため嵌まっていました。(dhcp-prefixではなくra-prefix)  公式ひかり電話あり設定 https://network.yamaha.com/setting/router_firewall/flets/flets_other_service/ipv6_ipoe-nvr500 公式ひかり電話あり設定 https://network.yamaha.com/setting/router_firewall/flets/flets_other_service/ipv6_ipoe-rtx1200  あと、トンネル番号10はNVR510では使えなかったので1にしました。 4.ひかり電話 – NVR510のコンフィグ  DHCPv6-PDが使えずRAでやっているせいなのか、SIPサーバのIPv6アドレスを取得できません。 仕方ないのでWAN側IPv4アドレスを取得できるようコンフィグに以下の記述をいれました。 これでひかり電話はつながりました。  ip lan2 address dhcp  もちろんip電話自体の設定はしているのが前提ですよ。(ウェブ保守画面からの登録で足りましたが) ■結果 ひかり電話:IPv4 その他の通信:IPv6 IPoE  今のところ混雑時間帯でも快適です。 あとはVDSLじゃなく光にできれば言うことなしなんだろうけど住宅事情からしてまぁ無理だろうなぁと。 ■速度測定(2020年2月16日 22時頃)   IPv4 PPPoE  IPv6 IPoe

Read More

◯ ありきたりの言い方であるが、スピードへの挑戦は人間にとっての永遠のテーマで、飽くなき追求が今も続く。ときには物理的な速度や速達性であったり、またときには社会的な生活環境の向上のためであったりと、求めるスピードの標的は多種多様な分野に及ぶが、端的にいえば“速度(速さ)”に代表されよう。 今でこそ狭い日本列島も、新幹線や航空等の路線網の進展等で時間的にさらに狭まりつつあるが、これも積年の人知のたまものであろう。近いところでは、東北新幹線の八戸~新青森間の延長開業が2010年12月に予定されており、2011年の春には九州新幹線(鹿児島ルート)の新八代~博多間の延長開業(同新幹線鹿児島ルート全線開業)も予定され、本州の北端から九州の南端までが高速ルートで結ばれることになる。 ◯ そうした鉄道のスピード化に臨む過程で、ある一つの記録が日本の鉄道史に残されている。世界の鉄道200年余りの約4分の3の歴史を占めてきた、人が造り出した人間に最も近い機械といわれた蒸気機関車によって、今から半世紀余り前につくられた日本の蒸気機関車の“最高速度記録”である。 今や、世界の鉄道は300km/h台の高速化の時代に入っているが、蒸気機関車が主流であった当時の日本では、欧米より低い100km/h台の時代であった。そのような時期に、将来の列車のスピードアップに備えた既設鉄橋(東海道本線開業の当初から使われている古い構造の木曽川鉄橋)の強度に与える影響を調査するため、1954(昭和29)年に東海道本線木曽川~岐阜間で蒸気機関車による高速の走行試験が繰り返し行われていた。その際に、同年12月15日に名古屋機関区(当時)配置のC6217号蒸気機関車が木曽川鉄橋上で129km/hの日本の蒸気機関車の最高速度を記録したのだ。ちなみに世界の蒸気機関車の最高速度記録は、1938(昭和13)年7月3日に6両の客車を牽引して202.7km/hを記録した、イギリス(標準軌)のマラード号という蒸気機関車が持っている。 その日本の鉄道(狭軌)における蒸気機関車の最高スピード記録樹立の当時の模様を、1992(平成4)年9月に上梓された「国鉄名古屋機関区蒸機と共に」(名古屋機関区で蒸気機関車と半生を歩んだ人々の記録・西村勇夫著)の記載文から引用して紹介します。    ・・・ 名古屋機関区C6217号機狭軌蒸気機関車スピード世界最高記録 ・・・~ 『東海道本線の米原電化が迫った昭和29年12月15日、木曽川鉄橋上において、名古屋機関区所属C6217号機が同じく名古屋機関区機関士藤田一郎氏、機関助士佐高尚氏、指導機関士伊藤健一氏の3名の乗務員によって狭軌蒸気機関車世界最高速度が樹立された。木曽川鉄橋の強度試験のために行われた速度試験であり、スピード記録樹立が本来の目的ではなかった。 木曽川河原には、大きなテントが2~3張られ、ここに強度試験の測定計器類が集められて、技研の人たちが注視していた。鉄橋各所には、幅(単位㎝)1.5、長さ7~8、厚さ0.2の銀製の極板が取り付けられ、これに微電流を流し、鉄橋を120km/hで走行した時に鉄橋が受ける荷重の変化、伸縮、撓みを測定することが、本来のこのテストの目的であった。 C6217号機は、予備として名古屋機関区に待機していたもので、たまたま使用された。別に他のC62でもよかった。ただ、試験が行われる少し前に浜松工場へ入場し、油ポンプ関係を調整、助士席をとり代わりに鉄道技術研究所の精密な記録装置の付いた速度計と同じく記録装置の付いた振動、衝動計が設置されていた。  毎日、名古屋機関区を9:00出区、名古屋駅で局の平松氏が添乗、東海道本線を一路60~70km/hで運転、単機で一路木曽川駅へ向かった。木曽川駅では、下り本線ホーム助役室付近に停車、ここで発車時刻まで待機。本線列車の間合いを縫って行ったため、運転回数は不規則であった。この木曽川駅から木曽川鉄橋までは、上り勾配とわずかにカーブがあり、スピードを出す条件としては最悪であった。しかし、そこはC62、その大馬力ボイラーにものをいわせ、楽々120km/h運転を実現させた。 運転方法は、機関助士は手焚きでバックに山盛り石炭を投入し、発車後は投炭を行わない。重油は運転中も使用するが、ストーカーは使用しない。通常の焚火方法では、とても蒸気が追いつかないためである。機関士は、リバーは60で発車、発車1分後には速度は92km/hに達した。発車後の10/1000の勾配上で100km/hを超える加速はC62だからできたといえよう。 129km/h運転時は、鉄橋の終わりかけで測定されたのでその後すぐに非常制動をかけ止まったわけであるが、そのまま直線が続くけば140km/hは出ていたであろう。実際、この木曽川鉄橋においては、戦時中のC53の軍臨(軍事物資輸送臨時列車)で客車を7両持って木曽川駅を100km/hで通過、鉄橋上では、SLの速度計は120km/hを振り切り、そのまま加減弁を開けっ放しで走り、鉄橋を越えたあたりでは140km/hは出ていたろうと回想する元機関士もいる。 C6217の129km/hについては、それほど驚くべき数字ではない。ただ、この記録は先に述べたとおり、悪条件下で樹立されたことと、公式記録であった点でその意義が見出せよう。もし、このテストでもC6217を尾張一宮から発車させ、木曽川駅を100km/h以上で通過させれば、鉄橋上ではおそろしい速度が出ていたに違いない。 この実験で運転関係者が一番驚いたのは、非常制動の制動距離である。皆、思ったより長い距離を走行する点に注目していた。C6217は、この実験でタイヤがガタガタ(非常制動に関連して)となり、試験終了後すぐに浜松工場へ入場し、定期入場と同じような整備を受け、昭和30年1月から再び特急けん引を行い、7月の米原電化まで大活躍した。 電化と同時に梅小路機関区へ転属、その後電化西進で広島、糸崎とかわり、現在はかつて古巣の地名古屋市東山公園に展示されている。なお、このC6217号機の東山公園での据え付けおよび整備には、かつてこの機関車の整備を行った名古屋機関区の検修員が奇しくもその作業にあたった。』 ~    ⁂(原文のままだが、一部漢字表記と句読点を追加、小括弧の注釈を加えた) ◯ 西進を続けてきた東海道本線の電化は、1953(昭和28)年7月21日には浜松~名古屋間(108.9㎞)の電化を完成させたことで、東京~名古屋間の列車は蒸気機関車に代わって電気機関車の牽引となった。その後も、東海道本線全線電化を目指して進む工事とともに、必ず訪れるであろう近い将来の東海道本線のスピードアップに備えた既設鉄橋に対する強度の余裕(高速運転が鉄橋の強度に及ぼす影響の程度)を確かめるため、前述の高速走行テストが行われたのである。そのテスト中の1954年12月15日に、図らずも実現したのが日本の蒸気機関車最高速度129km/hの記録であった。 もっとも、すでに動力近代化へ国鉄経営の方向が向いていた下では、いずれ淘汰へ向かうであろう蒸気機関車の速度向上への意気込み(研究姿勢)など当時の国鉄にはなかったことは明白で、この記録は意図したものではなく副次的に生まれたものであった。同時に、この最高速度の持続は数秒間という物理的制約(限界)を伴ったほんの間合いのことであって、技術的に資するものではなかった。その結果、ただただ一つの記録のとどめられ、記録の範囲を抜け出ることはなかった。 ちなみにこの蒸気機関車最高速度記録が出た数ヶ月前の同年3月に、東海道本線三島~沼津間で行われた電車による高速度試験で、“湘南電車”として親しまれたモハ80形電車(1950(昭和25)年に初の固定編成の観念を採り入れ、以降の長距離電車列車の基を築いた画期的車両)が、123km/hを記録している。 ◯ 日本の蒸気機関車の最高速度129km/hを記録したC6217号機関車は、東海道本線全線電化(1956(昭和31)年11月19日)の約2年前、単機運転ながらも持てる蒸気力を目一杯上げて狂ったように木曽川鉄橋上を、轟音とともに走り抜けていた。同機関車の設計上の最高速度120km/hを凌駕して…。 その日本を代表する旅客用蒸気機関車・C62形(総数49両)も、やがて訪れた動力近代化の波に押しやられて1971(昭和46)年に、最後の活躍の地であった北海道でディーゼル機関車へバトンを渡して、23年の長きにわたる使命を終えた。 「129km/h」…日本の蒸気機関車最高速度記録は、それほど遠くない時期には近代車両に取って代わられるであろう途上での出来事であったがため、その快挙も動力近代化の進みつつあった中で、本来の目的(高速度テスト)ではなかったこととも併せて蒸気機関車の一つの記録にとどめられ、後に役立てられることもなく鉄道史の一隅に埋もれる運命をたどった。今にして思えば、日本を代表する蒸気機関車であっただけに、一つの記録にとどめられたのは惜しい気持ちもするが、日本の鉄道の歴史にその足跡だけでも残せたのを幸いとしなければならないだろう。 およそ260万㎞に及ぶ鉄路を走り抜いて、1971年3月に引退したC6217号蒸気機関車は今、ゆかりの地名古屋の東山動植物園(名古屋市千種区)に静態保存・展示されており、日本の蒸気機関車最高速度記録を勲章にその体躯を休める。 (終 参照:「国鉄名古屋機関区蒸機と共に」)

Read More

ウチの主任は、「努力目標」という言葉が大好きです。なぜなら、未達成でも構わないからです。しかしながら、事務職には努力目標というものは基本的に多くはありません。 目標には、ご存知の通り、必達目標と努力目標とがあります。必達目標というのは達成して当然の目標であり、他方で努力目標というのは目標とするレベルが高いため、達成できる確率があまり高くないけれども達成するように努力するメドとして示した目標、という意味です。 努力目標として通用するのは、大体は営業ノルマの類で、相当高いレベルの目標であるがゆえに、設定指示した側も半分未達成覚悟で指示しています。出来る職員が達成すれば、残りの職員はそこそこの出来であっても、全体で相応の数字となるように最初から仕組んであります。 ところが、事務の場合は、営業と違って目標数値の設定が比較的自由です。このため、上司の方針にもよりますが、無謀な目標を掲げて努力目標とするのではなく、達成可能な手堅い目標を掲げて本当に達成させるのが通例です。 たとえば、事務ミスを減少させる目標を立てるとしても、月平均10件発生するものをいきなりゼロ件の目標にするのではなくて、7件以下にするような目標とします。これであれば十分達成可能です。そしてまた次の期に5件以下というような目標とし、徐々に絞ってレベルを上げるようにします。 あるいはまた、1年間でA資格の試験合格、というような目標を主任に与えます。難しいレベルの試験ではないので、計画的に学習すれば、目標は必ず達成できます。達成できないのは、本人の怠慢以外にはありえません。ウチの主任は、こうした一般的なレベルの低い目標までも努力目標だと甘く解釈していた節があります。 スケジュール通りに手順を踏んでいけば必ず達成できる目標というのは、努力目標ではありませんので、甘く見ない方が身のためです。事務職の場合、たいていは必達目標として仕組まれていますので、注意が必要です。 ■要点1:営業目標は努力目標、事務目標は必達目標であることが多い。

Read More

 「gullible=ガリブル」という単語がある。この意味は「easily deceived; willing to believe anyone or anything=騙されやすい、誰の言うことも何でも信じてしまう」だ。決して褒め言葉ではない。あまりにもナイーヴ(物事の本質がわかっておらず、無邪気でいる)ということではっきり言って軽蔑されているのだ。 この言葉は、宮脇磊介(らいすけ)、『騙されやすい日本人』の冒頭に出てくる。自分に提供される情報は真偽を確認せずに信じ込み、自分たちの情報が相手に筒抜けになっていることに気付かない、情報の価値を知らない日本人は世界で馬鹿にされているのだ。 戦争中の情報漏れは言うまでもない。戦後はそれに懲りたかと思いきや、インターネットの時代になって、ますます情報は筒抜けになってきている。個人レベルはもとより、企業や国家レベルでも同じ事だ。 ソ連が崩壊したあとでアメリカのCIAはアメリカと利害関係にある外国企業の情報を集めるようになったとはこの前のブログ(公開忘れのため本日公開)で書いた。しかも技術が進歩したので、個人を含むあらゆる情報が自由に取れるようになり、それを国家戦略として打ち出しているのだ。 今日の「モーニング・バード」でその一例を見ることができた。フランスとサウジアラビアの間で大型の商談がまとまりそうだという情報をキャッチしたアメリカは、その取引に汚職の疑いがあるとして干渉し、破談にさせ結局アメリカの企業が数千億円の仕事を獲得したというのだ。自分のためになるなら同盟国も関係なしに割り込むことを平気でするのだ。 それに引き替え日本は情報管理の面では裸同然だ。最近では社会保険庁の個人情報漏れが露見したが、あれは氷山の一部でしかないのだろう。 冒頭で紹介した本には、日本だけが参加していない裏のゲームという項目がある。国家間には表のゲームと裏のゲームがあるというのだ。表のゲームの代表は外交だ。これにはルールがある。ルールの存在という点では戦争も表のゲームだ。 これに反して裏のゲームはルールのないゲームで、時には命のやりとりまで含まれる。宮脇氏によれは情報機関はまさにこのゲームの参加者で、その意味で情報機関は「国家の犯罪組織」と呼んでいるという。 しかしこの裏のゲームに日本は参加していないので国際関係裡では日本はやられ放しだというのだ。この本は平成15年の本だから今はすこし改善したかも知れないが、その間に国民の意識が高まったとは思えないからあいも変わらずではないだろうか。 外国が日本をスパイしているのはけしからんと言っているだけではダメなのだ。世界のあらゆる国が国家の存立をかけて情報戦を展開しているのだ。情報戦に勝つか負けるかは国の信用を得るか損なうかの分かれ道になる。 組織としても個人としても情報の重要性を再認識しないといけないだろう。

Read More

光岡昌美さんが、Mizca(ミツカ)と改名して、レコード会社を日本クラウンへ移籍するそうです。  女性Artist、光岡昌美さんが、レコード会社をポニーキャニオン→日本クラウンへと移籍して、名前を「Mizca(ミツカ)」と改名するそうです。 アメブロにある、光岡昌美さんの公式Blogにて、発表がありました。http://ameblo.jp/mitsuoka-masami/ BlogのTOP画面に、「速報」として掲載されています。その部分を引用してみましょう。『速報!!レコード会社を日本クラウンに移籍!!それに伴い、ニュープロジェクトの始動が決定。アーティスト表記を光岡昌美よりMizca(ミツカ)に改名。そして音楽性はエレクトロポップに!!Mizcaとしての本格的な始動は秋頃を予定しております。ブログも新しくなりますので今後の活動にご期待下さい。』・・・ということです。 光岡昌美 公式Site  光岡昌美(みつおかまさみ)さんは、2005年3月に、女性3人組ダンスユニット「Sister Q」のメンバーとしてDebutしました。4枚のSingleをリリースした後、2006年10月に解散となります。  2007年11月に、ソロ歌手「光岡昌美」として、1st Single「Hana」をリリースしてDebutしました。そのときのキャッチコピーが「引きこもり美人」というものでした。 『美人系ひきこもり?光岡昌美デビュー』http://www.barks.jp/news/?id=1000035652 【BARKS News 2007年11月16日付記事】  この「引きこもり美人」という言葉が独り歩きして、ちょっとしたNewsになったのを少しだけ覚えていますね。 引きこもりがアイドルなんて(ryと思いますが?  その後、光岡昌美として、5枚のSingleと1枚のAlbumをリリース。 2009年2月リリースの5th Single「FREE BIRD」が、最後のCDとなりました。  その、光岡昌美さんが、Mizca(ミツカ)に改名して、音楽性もエレクトロポップに変えて、ダンスをするようになったとか? ↓光岡昌美としての、最終Single「FREE BIRD」です。 FREE BIRDポニーキャニオン 2009-02-11 光岡昌美 Amazonアソシエイト by ウェブリブログ  ああ、引きこもり美人の方ですか。  どうも、「引きこもり美人」という言葉だけが独り歩きしてしまって、それしかイメージがないんですよね。後で、Sister Qのメンバーだと知ったときは、引きこもりがアイドルなんてやるわけ無いじゃないって思ったわけですが・・・  さて、「光岡昌美」としての楽曲は聴いたことが無いのですが、ほとんどの楽曲の作詞を手がけていたようです。やはり、「引きこもり」を謳うだけあって、そんなアクティブには見えないですよね。  何故か、エレクトロポップに方向転換するようです。どうやら、ダンスをしてるようで、ダンサブルな曲になるんでしょうね。エレクトロポップというと、Purfumeさんが真っ先に浮かぶのですが、あんな感じなのでしょうか?  なぜ、この記事に注目したかと言うと、その名前です。  Mizca ですよ。 Mizca  Mitsukaではなくて、Mizcaですか。Zで「ツ」と読ませるのはありますからね、自動車のマツダが「MAZDA」と表記してる例もありますし・・・  Mizca・・・ Miz+ca  MizさんのICカードみたいな、そんなイメージがしてならないのです。  しかし、Mizcaって、地方の交通機関のICカードみたいな名称ですよね?静岡鉄道、遠州鉄道とか、導入に積極的な会社も多いですからね。「~CA」で「~カ」という名称が多いんですよね。  そして、Mizで「ミツ」と読ませるのですか。Mizさんを思い出さずに居られません。 Mizrock 公式Site  Mizで「ミズ」と呼んでいましたが、Mizrock「ミズロック」に改名して迷走しましたからね。  元々Mizrockさんは、渡辺みずきの名前で活動していました。 Mizとして再Debutして、クールでカッコイイROCKだったのです。最初は売れたけど、次第に厳しくなり・・・  そして、レコード会社を(ビクター→Universalへ)移籍してMizrockに改名したんですね。 Mizrockとは名ばかりの、全然ROCKじゃない、なよっとしたPOPサウンドになって、余計に売れなくなって、挙句CDまで出せなくなって・・・現在でも、活動してるようで、たまにLIVEしたりしていますが、今後は不透明なままです。 Mizrock 公式Blog

Read More

上野動物園の正門横に子供遊園地がありました。昨年の8月末に営業を終了し、先般訪ねたら、跡形もなく消え去っていました。 現在、東京都が進めている上野公園再生計画の一環で、動物園の正門前広場が整備されるようで、ここも新たな空間に生まれ変わるようですよ。 またひとつ、昭和の香りが消え、上野も徐々に変貌を遂げていきます。 ≪上野子供遊園≫ 上野動物園の正門脇にあった上野子供遊園。終戦の翌年から70年間に亘り、上野公園や動物園を訪れる子供さんに夢を与え続けてくれました。 ≪おかげさまで70周年≫                     △閉園のお知らせ昨年「70年間ありがとうございました」で始る、閉園のお知らせが掲げられていました。 地主の東京都から「動物園の魅力を高めることを目的とした正門前広場の整備工事のため許可を取り消された」とのことのようです。  ≪在りし日の遊園地≫  遊具が密集しており、結構過密な遊園地ですよ。昭和の縮図ですかね。 ディズニーランド等を思うと、多少時代遅れの施設のような気がしますが、それでも子供さんたちには楽しい思い出を残してくれました。  ≪消えてしまった遊園地≫                    △撤収前                    △撤収後遊園地は忽然と消え去っていました。公共事業の為とはいえ、古希になろうとする遊園地が撤去されたのにはチョイ胸が痛みます。 施設は撤去され、土台のコンクリートが剥き出しです。誰もここに遊園地があったことさえ、もう忘れてしまったようですね・・。  上野公園再生計画で、噴水がリニューアルされたり、スターバックスがオープンするなど、上野公園は見違えるほど綺麗になってきました。文化の香り立つ公園に変貌しつつあります。 上野一体も、昔の胡散臭い映画館や土産店、古本屋などが姿を消し、お洒落な街に生まれ変わりつつあります。世の中の流れとはいえ、昭和を愛する者には、人間臭い妖しげでディープな空間が無くなることは、何とも寂しい限りですよ・・。  ≪最後の昭和≫【蛇足】 当該遊園地の横にある、東照宮門前の売店です。昭和の気分を色濃く残す、昔風の茶店です。敷地が寛永寺の敷地内にあるため、都の再生計画が及ばないようですね。

Read More

およそ200kmに渡る山道を6時間かけて走破し、熊野本宮大社、玉置神社で神業し、夕方5時までに和歌山県橋本市まで戻る! そんなまさにラリーのようなツアーが高野山ツアーの翌日に待っていました。 さて、前日の高野山での神業を無事に終えることが出来た私たちは”日本三大美人の湯”といわれる龍神温泉で、肌もすっかりスベスベ(!?)になったのもつかの間、翌朝8時には、熊野本宮大社へ向けて出発したのでした。 しかし、本日は先頭を走る”露払い役”の運転手をSさんが買って出てくれたため、私は2台目の車を運転することになったのです。 何と後続車の運転の楽なこと楽なこと! 前日の高野山では、暗くなってから山あいの道を龍神温泉目指した運転は、本当に神経が擦り切れたものでした。 真っ暗闇のS字カーブが続く細い山道では、対向車に神経を使い、ナビを見ながらの運転で最新の注意が必要でした。 (山中では、何と野生の鹿にも遭遇しました!) ところが、今回のように先行車がいる場合、その後ろ姿だけを見ていればよく、昼間ということもあり何倍も運転が楽なのです! という訳で、前日のトラブル続きで、まさに心が折れそうになっていた高野山での運転とはうってかわって超お気軽なドライブであっという間に熊野本宮大社へ到着してしまったのでした。 何でもっと早く気づかなかったんだろう!(アイデアを提案してくれたSさんに感謝、感謝です) 熊野本宮大社では、まずご本殿にご挨拶してから、その裏手にある森へ向かい、そこから神業させていただきました。 主祭神であるケツミコノ大神さまとは、実はスサノオノ尊さまのことです。 農業の神であり、生命の神で、ミケツノ大神さまとも神格が近いのです。 スサノオノ尊さまが自らの“陰(慈悲)の働き”の影響を受けて新たに生まれた、慈悲の心を強くもった“陽の働き”なのです。 いわゆる、剣を持ったスサノオノ尊さまが、命を司る神へとバージョンアップしたわけです。 熊野本宮大社本来の主神はシュメールの神であるアヤさまであり大地の豊穣神で、国常立大神さまの一部ともいわれます。 熊野の奥にはシュメールの神々の世界があるのです。 熊野本宮大社ご本殿の神さまは、神業の手応えがあったのですが、ご本殿裏手の、祓戸大神さまをお祭りする祓戸王子社は、もう一声という感じでした。 祓戸大神さまも、まさに露払いの神さまですからとてもお疲れなのでしょう。 次に近くの河原にある大斎原(おおゆのはら)が見える場所で神業しました。 現在の熊野本宮大社は、山の上にありますが、明治22年の大洪水で流されるまで社地は熊野川の中州にありました。 旧社地の中州は、現在の数倍の規模を誇っていたと伝わります。 現在その場所には、日本一高い大鳥居が建っています。 実は、こちらがとても重要な場所なのです。 遠隔で神業させていただき、時間も押しているので車に乗り込もうとするとYさんをはじめ、何人かの参加者が、別の場所に向けて神業をしている姿が目に入りました。 大斎原の南にある大日山(だいにちさん)の神仏から、メッセージが来たらしいのです。 大日山には、大日拝殿(大日如来)と月見ヶ岡神社(天照大御神・月読大神)があり、熊野本宮とあわせて三光(日・月・金星)になります。(熊野本宮大社のスサノオノ尊さまは金星とされます) 熊野本宮大社も、そのあたりに軸を定めて、再度神業する必要がありそうです。 ちなみに島根県にある出雲国一の宮・熊野大社(松江市八雲町熊野)は、出雲大社の“元地”というイメージで、出雲大社だけでなくこちらも参拝することをお奨めします。 実際、妻も参拝した折に 多くの人たちに参拝することを薦めてほしいと熊野大社の大神さまより、直々に言われました。 車は、日本最大の広さを誇る村である十津川村へと入り、まさに秘境という雰囲気が出てきました。 1時間ほど走ると玉置神社の看板が見えてきて参加者から歓声が上がりました。 玉置神社は熊野三山の《奥之院》にあたり、地球主宰神・国常立大神さまの重要聖地です。 また戸隠神社、日室ヶ嶽とならぶ日本の《三大パワースポット》でもあります。 駐車場につくと小さな食堂がありました。 私は店主のおじさんに話しかけて、玉置山頂上へ行くルートを聞きました。 すると、 こっちの道から行くと、頂上はすぐだよと教えてくださいました。

Read More

久しぶりに一発屋を出して参りました(^^♪セクシーな?ダミ声で全米を圧巻したRIGHT SAID FREDです。 この曲2007年バージョンが出てるみたいですね^_^;みんな覚えているのかなァ まずはレイザーラモンHGをしのぐ強烈なPVを ”I’m Too Sexy”RIGHT SAID FRED (1992年) 快活なハウス・ビートに乗ってスキンヘッド、ムキムキボディを露出☆いつの時代でも話題をさらっていきそうなズルさを持ち合わせていますよね(笑) この”I’m Too Sexy”は彗星のごとくチャートに現れアッという間に全米No.1になります。1992年2月8日付けでビルボード誌シングル・チャートのトップに立ちそこから3週間1位をキープします。UKチャートでは2位まで浮上しています。 人気blogランキングへ 当時、ラジオから流れてくる彼らの音楽は、とても楽しそうでたまらず、CDシングルを買い求めました♪ 歌詞は大体以下のような事を歌っていました。 <オレの存在は彼女にはセクシーすぎる 彼女にオレはセクシー過ぎるんだ彼女はオレから離れていく> こんな内容だったと記憶していますが・・・あまりの自意識過剰な歌詞に思わず吹き出してしまいました(^^ゞ 注目を浴びるほどのヒットは”I’m Too Sexy”だけですがRIGHT SAID FREDの3人組は4枚ほどアルバムを出しているみたいですね! I’m Too Sexy 2007 I’m Too Sexy 2007

Read More

日本では「ロッキード事件」などというものがあったために、かなりダーティーなイメージがついてしまっているようですが、私にとっては大変お気に入りの飛行機です。だいたいイメージが焼きついたのは、やっぱり小学生あたりだったかと思うのですが、テレビCMでただひたすら「全日空、トライスター」と連呼していたのが印象に残っているわけです。 高校生になってから本格的にこの飛行機についても調べたわけですが、その技術にはかなり驚きました。ライバル機のダグラスDC-10が、かなり堅実に実績のある技術を多用して開発されたのとは対照的に、トライスターは積極的に新しい技術に挑戦したわけですが、アポロ宇宙船に採用されたアビオニクス技術をフル活用、アプローチ時にはパイロットが機首を上下させなくても自動的に高度調整を行うという「ダイレクトリフトコントロール」や、何と視界ゼロでもオートランディング(自動着陸)可能という完璧なオートパイロットが装備されていたのです。実際に、1974年に全日空が導入したトライスターが、濃霧の羽田空港に着陸する際に、パイロットは操縦桿を操作しなくてもよかった、という伝説があるくらいです。最先端のハイテク機と言われるボーイング777やエアバスA340でも、マクドネル・ダグラス最後の3発機MD-11でも、こんなシステムは導入されていません。「これをハイテク機と言わないで、何をハイテク機と言うのか」というくらい、先進的な旅客機だったのです。 しかし、これほど完成度の高い飛行機も、「アメリカ大陸横断が可能な機体」という割り切った設定が足を引っ張ってしまいます。空港の整備されたアメリカであれば、離着陸に必要な滑走路が2500mと言っても問題にはなりません、1970~80年代の日本では、大都市の空港でなければ2500mの滑走路なんて期待できません。B767なら2000mあれば大丈夫です。ここで全日空の機材としては脇役となっていきます。さらに、長い滑走路が必要な割には航続距離はあまりなく、太平洋を横断することさえ厳しかったわけで、後になってからなんとか太平洋横断可能な短胴タイプ(500型)が出たものの、後から短胴タイプを追加した旅客機というのは、効率が悪くなるのであまり成功しません。さらに、これだけハイテク機だったのにもかかわらず、3人乗務機というのがネックになりました。B767以降のハイテク機は2人乗務が可能なのがセールスポイントだったわけで…。 こうして、トライスターはその勢力を急速に狭めていき、現在は250機製造されたうちの50機程度しか現役で飛行していない状態なのです。そもそも、ロッキードはトライスターを最後に旅客機ビジネスから手を引いてしまったので、後続機もないのです。結局私は搭乗する機会がなかったので、なおさら残念に思いますが、少なくとも「トライスターというすごい飛行機があった」ことだけは、ずっと忘れないでいたいものです。それにしても、1995年に全日空を退役したトライスター、2004年に退役したMD-11、最後に日本の航空会社に残った3発機が、ハイテク機でもなんでもないDC-10とは、何と皮肉なことでしょう…。 【トライスターの本】トライ・ワイドボディ・ジェット&L-1011(イカロス出版)4871492753>

Read More