2009年12月21日 神永喜八との親戚関係の部分訂正(雨情の父の後妻ではなく、雨情の叔母が神永喜八の後妻になった。)、芹沢鴨が亡くなってすぐに、盟友だった野口正安も後を追うように死亡等を加筆。去年12月に撮影したままお蔵入りにしていた野口雨情生家付近の写真ですが、遅ればせながらアップします。 雨情生家は雨情と先妻の高塩ヒロとの間に生まれた2人兄妹の内、家督を継いだ雅夫の子供(雨情の孫)の野口不二子さんによって管理されている茨城県指定文化財になっています。生家内部の資料館は管理費100円で入場できます。内部は原則撮影禁止です。 雨情が少年時代に住んでいた2階立て部分 よくわからないけど隣には野口家の親戚なのか同じ名の歯科医院が野口雨情の曾孫さんで野口量平さん経営の歯科医院 野口雨情というと彼だけが野口家で名を馳せた様に思えますが、さにあらずで一番近い身内から行くと雨情が15歳の時に上京して居候していた伯父の「野口勝一」は茨城県県議会議長や衆議院議員(板垣退助の自由党所属で、品川弥次郎の子分格)を務めた他、漢学者、書道の大家でもあり、全国に「吉田松陰」の事を初めて紹介した人でもありました。勝一は政治活動にたずさわる為に野口家の家督を弟で雨情の父の「野口量平」に譲ります。政治活動で野口家の財産を目減りさせた償いの意味もあったのかも知れません。 さて野口家は南朝の後醍醐天皇の為に戦った忠臣「楠正成」(くすのきまさしげ)の弟で「楠正季」(くすのきまさすえ)の子孫とされています。本来、歴史では兄弟刺し違えて自害した事になっていますので、生き残っていたという前提でのお話になっています。それを聞いた水戸藩が野口家を召抱えたのが茨城県での野口家の始まりです。特に水戸光圀公(黄門様)は、明の亡命儒学者「朱 舜水」から学んだ朱子学を元に尊王思想の「水戸学」を創り、自身が始めた「大日本史」編纂の中で南朝正統派説を唱え、必然的に楠兄弟を忠臣の鏡としていたため、野口家には特に目をかけました。野口家5代目当主の妻が子を残さぬまま亡くなったために、血統を残す為に側室の「お松の方」を与えました。が、生まれた子供が光圀公にそっくりであるというのでお忍びで野口家を何度か訪ねたそうです。野口家6代目は光圀公の様に聡明で優秀な方であったとそうです。又、野口家は海がすぐ近くで眺めが素晴らしく「観海亭」と光圀公によって名づけられました。公式には、その眺めがお気に入りで観海亭に良く立ち寄ったとされています。(あくまで説ですので念の為)ちなみに現在は海際にホテルが建ち海が見えずらくなっています。 さて海側の写真ですが、近くに小高い丘のような天妃山があり、光圀公が天紀神(媽祖とも呼ばれる中国由来の海上の守護神)を祭り、後には水戸斉昭公が弟橘媛(おとたちばなひめ、日本武尊の妻で東京湾で夫と共に船に乗っていたが荒れた海を鎮めるために海に自らを奉げた)を祭った神社がありますが、ここは「新撰組の芹沢鴨」がかって神官の娘と結婚して神官「下村継次」として過ごした場所です。雨情生家近くにすんでいた雨情の祖父とその弟「西丸帯刀」達の従兄弟にあたる「野口哲太郎正安」は、水戸藩の尊王攘夷の柱「藤田東湖」から教えを受けており、「吉田松陰」が嘉永5年(1852年)にこの地を訪れた時には雨情生家のあった場所で松陰と一晩語らっています。松陰はかっての大津浜事件を調べる為に旅の途中寄ったのです。話は芹沢鴨(下村継次)に戻りますが、かれは近所の正安の影響を受けて天狗党(水戸藩の過激な攘夷思想を持つ一派で、正安や西丸帯刀は中核に近い位置にいた)に関わりますが諸生党(水戸藩佐幕派)との勢力争いに破れ投獄されます。その後、天狗党側の巻き返しにより出所し、芹沢の姓に戻り江戸にでた後、清河八郎の浪士組(その後、壬生浪士組→新撰組)に加わります。 これは同時期、水戸藩の上京(京都行き)があったにもかかわらず、参加出来ない立場の鴨が渡りに船と浪士組みに入ったのではとも推測されます。新撰組を結成した年の9月(文久3年)に鴨は粛清されますが、その後を追うように10月に野口正安も亡くなっています。古い同志がいなくなったのが病気の身にこたえたのでしょう。 新撰組の後の事は有名なので省きますが、新撰組局長「近藤勇」が千葉流山で斬首された時に、勇を捕らえ斬首を強硬に主張した「香川敬三」は鴨の天狗党時代の同士でした。 近くにある「野口雨情記念館」(2階は北茨城市歴史民俗資料館)にある、雨情のご当地ソング「磯原小唄」にも天妃山の名が出てきます。雨情記念館 入場料大人300円、児童生徒・学生100円 月曜日・年末年始休館、9:00~16:00まで詳しくは℡0293-43-4160まで 水戸の天狗党は薩摩藩と密約を交わし、「安政の大獄」(南紀派方の直弼が水戸藩から養子に行った徳川慶喜を押す一橋派との争いに端を発した弾圧)を因とした万延元年(1860年)の「桜田門外の変」で大老「井伊直弼」を殺害しましたが薩摩藩は動きませんでした。彦根藩の怒りは凄まじく直弼の警護で重症を負った者でさえ島流し、無傷だったものは駕籠かきにいたるまで打ち首、切腹をさせ水戸藩と戦争をもしかねない勢いでした。結局、安藤信正公が井伊直弼公の暗殺による死を無かった事にしたり、会津の「松平容保」公が間に入り取り成したりして抑えました。容保公は、その功から政治中枢に関わる事になります。(これが、会津藩の終わりの始まりか?) しかし、それにも懲りず水戸藩は数ヵ月後「西丸帯刀」38歳が長州の「桂小五郎」27歳と江戸湾の長州軍艦「丙辰丸」にて「成破の盟約」を結びます。ちなみに彼らの間を連絡役として動いたのが当時18歳の「伊藤博文」でした。直弼公死後は井伊直弼の後に反直弼派の下総関宿藩主「久世広周」を首席にすえ、直弼派の磐城平藩主「安藤信正」が老中として外交面や公武合体政策を推進していました。 いわき市平の松ヶ丘公園の信正像 そして盟約に従い安藤信正を暗殺しようとした「坂下門外の変」を起こします。腕利きを警備に付けていたこともあり暗殺は未遂に終わりました。その後、怪我を押して公務に復帰した信正ですが、水戸と手を組んでいた薩摩藩主「島津久光」に追い落とされ磐城平藩に隠居の身となりました。 さて水戸藩は、後に「天狗党の乱」において天狗党と諸生党が激突、水戸各地は焦土と化します。天狗党は幕府の応援を得た諸生党に破れ京都へ向かいます。針路上の各藩を蹴散らし大砲を引っ張りながら真冬の越後境の雪の峠越え(;゚д゚)をした後、越前で加賀藩に破れ投降、加賀藩は彼らに同情的でしたが、劣悪な環境で幽閉された後幕府の命により(でも将軍は水戸藩出身の慶喜だった・・・)死罪…………352人が死罪になり残りは島流しや水戸藩預かりとなりました。もっとも刑の執行には水戸に大きな恨みを持つ井伊家の意向が有った様ですので、ある意味、自業自得な部分があったかもしれません。 西丸帯刀は、これに加わっていなかったため、官軍優勢になって諸生党が滅びた後に天狗党残党とともに戊辰戦争最後の戦い「函館戦争」に加わります。その後北海道の開拓に関わり資産を残します。雨情が一発当てるために樺太を目指した時に、この大叔父に借金を申し込みますが雨情の性格を見抜いていた彼に断られてしまいます。さて話が色々飛びましたが雨情にまつわる場所が生家から車で数分の場所にある「二つ島」二つですが、もう一つが小さすぎるのか良くわかりませんでした。雨情が高塩ヒロと結婚する前、磯原の芸者さんと付き合っていましたが親戚に結婚を反対され、この当りで心中騒動をおこしています。結末はわかりませんが雨情は死んではいないので、まあ大した事には為らなかったのではないかと。この二つ島は鵜の生息地でもあり、かなりの数がいます。 ところで雨情が湯本にきた理由は何かと考えますと、その一つとして雨情の父の後妻だった人の兄雨情の叔母の旦那さんが常磐炭田北茨城地区の炭鉱を発見した(片寄平蔵より早い)常磐炭鉱の祖の一人「神永喜八」であった事。喜八と取引のあった鍵屋」という廻船問屋の娘婿が常磐炭鉱で片寄平蔵と組んで、彼の死後に炭鉱経営に携わった「加納作平」だった事が関係しているのかも知れないと自分的には思っています。しかし、最初の頃は野口雨情の一族が歴史上の色々な事に関わっている事を知りませんでしたので驚きの連続でした。「事実は小説より奇なり」でした。φ(゚Д゚ )フムフム…

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ホンダカーナビVXM-135VFNをUSB接続でiPhone5SとiPod nano 第7世代の音楽再生。 いままでカーナビVXM-135VFNで使っていたiPod nano 第5世代は、最近接続時に時間が掛かってエラーが出るようになった。 ナビとの接続コードは純正品です。 使っていた第5世代のiPod nanoはもう5年も使っているので、そろそろお役御免かなと思っていました。 新しいiPod nanoの購入を検討したところ第7世代では接続コネクタがLightningになり、対応した30Pin変換アダプター(¥3080)が必要になるのでこの出費が痛いなーと考えていました。apple純正を使わないと音楽データは通信できないそうです。今のFIT3のDOP8インチナビの接続方法の説明を見ていたらナビのUSB端子とiPod nanoをLightningケーブルで接続すれば再生できると載っていました。そこで同じLightning接続のiPhone5Sで試してみました。カーナビから音楽が再生されました。(iPhone5Sは最近機種変更で購入したばかりです。) 再生ができることが分かったので、iPod nano7世代を購入して同じ方法でやってみました。みごと音楽が再生されました。30Pin変換アダプターは不要でした。 実はLightningから30Pin変換アダプターの非純正サードパーティ製が安売りしていたので、購入してつないでみましたがみごとエラーとなりました。 iPod nano7世代もiPhone5Sもこの接続方法で快適なカーナビでの音楽再生です。 そして今回確認してみたのですが、ウォークマンNW-A919もUSBケーブル接続で音楽と写真がナビから再生できました。(2008年購入です。) このブログを見てVXM-135VFNのユーザーさんで試す方は、自己責任でお願い致します。 では、またー。

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12.02.07  5日、「SST不当解雇撤回・会社再建総決起集会」が、千葉県土建会館を会場に開かれました。SST(ソーラーシリコンテクノロジー)社は、千葉県が5年分の地代1億5千万円の補助金を出して、かずさアカデミアパークに誘致した企業(手塚博文社長)。しかし、2007年の創業当初から続く残業代や休日手当の不払い、あるいは賃金カットの強行にたまりかね、労働組合が結成されました(2010年5月末)。これを敵視した会社側は、10月、16名の組合員に対して、郵送により解雇通告。紙切れ一枚によるいきなりの整理解雇でした。  組合のたたかいに地域の人々を含め、急速に支援が広がりました。法廷闘争でも、翌2011年3月、千葉地裁木更津支部は、「整理解雇無効」の仮処分決定を下しました。にもかかわらず、会社側は、ずるずると解決を引き延ばし、収入の途絶えた組合員たち、その家族は、大きな不安と困窮ともたたかい続けなければなりませんでした。12月になってようやく、「2012年1月5日から希望者11人の職場復帰を認める」ことで、労使の合意が成立しました。  和解の協定書には、「事前協議なく組合員の一時帰休は行わない」「労働条件の変更時は組合との合意を得て実施する」との取り決めがありました。しかし、12月27日、組合員全員に対し、一時帰休の通知書が郵送されてきました。会社側の明らかな協定違反です。支援の人々も含めたたたかいがあり、日本共産党県議団も県に対して指導を求めるなか、1月12日、会社側は、一時帰休を取り下げることを表明。真の職場復帰が実現することになりました。  一昨日5日は、その勝利の報告集会のはずでした。しかし会社の無法行為はとどまるところを知りません。今度は、職場復帰した11人の組合員を、他の労働者から隔離する部屋に押し込め、草むしりをさせるなど、仕事もまともに与えようとはしていません。「勝利報告」の集会は、しばらくお預けとして、急遽「会社再建」にむけた新たなたたかいのスタートの集会となりました。  会場いっぱいの参加者を前に、主催者を代表して「SST支部支援共闘会議」の松本悟議長が挨拶、上部団体であるJMIU中央本部や弁護団、地域代表に続いて、私も日本共産党を代表して連帯の挨拶をさせていただきました。  解雇撤回、一時帰休撤回と、会社の無法を跳ね返してきたのは、組合の団結の力であり、支援の力であり、何より困難なたたかいを支えてきた家族の力だと、まず敬意を表明しました。ちょうど5日は、沖縄、あの普天間基地を抱える宜野湾市長選挙の告示日。沖縄防衛局の選挙介入という無法行為は、負けたら日米安保条約絶対の体制にひびが入ることを恐れてのこと。SSTの無法行為も、負けたら企業・財界支配の体制にひびが入ることを恐れてのこと。どちらのたたかいも、アメリカ言いなり・財界中心の今の日本の支配体制の根幹に突き刺さるたたかいだと強調し、今後も全力で支援していく決意を述べました。

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残すはラトリアと腐れ谷。まずはボスは楽な腐れ谷から。 どちらもエリア1は終わっているので、エリア2をクリアするだけです。どっちもぐるっと廻って、ショートカット的なものを開くとスタート地点に戻る。という仕組みになっていますね。 さらに、ラトリアでは最白イベントがこなせるのでエリア1にも用があります。 残すところ、それぞれのボスを撃破すればトロフィー的には終わりなので一気にめぐっていきます。 水濡れの指輪があるので、腐れ谷最強の鬼女も余裕です。沼地の中でバトルできてしまうので、あとは空振りを狙って攻めるだけ。 まあ、魔法などで押してもいいですけどね。儚い瞳の石がある、4体の大腐敗人にも果敢に向かっていけますね。 腐敗人の家。というのがエリア2の特徴なので病み村みたいなエリアではあるのですが横穴に腐敗人いるんだね。いつも盗人の指輪をつけずに移動するので、気づかなかった・・・。 どっから出てくるんだこいつら?っていう疑問が1つ解決。 腐れ谷最白時の、陶貨がある場所。わかりやすい位置にコメントがありましたね。助かります。 ここから一段降りてから、壁際との間の隙間。そこから落ちると、コメントのある場所に行くことができます。ついでなので、後ほど回収しに行きました。 神の怒りでナメクジを片っ端から蹴散らす!これは爽快です。激しく爽快。ちなみに、ガルも神の怒りを使ってきます。大回復に神の怒り、ブラムドを片手で振り回す重装備キャラ。なんちゅうやつだあいつ・・・。 コンセプトは、リロイがそっくりですね。でもそうなると、アストラエア役はニトになるね。 不潔の巨像は、火の飛沫で押しまくるのが簡単です。すごいエフェクト・・・。 後ろをとってからの炎の嵐でもいいですね。なんにせよ、遠隔で攻めると楽になる相手です。 MPもほぼ減らないというか、燐光のポール+5の回復量がやばいので指輪含めてMP回復に回せば、相当量回復しつつ攻撃ができます。色のないデモンズソウルで強化できる武具は、基本癖が強いので特殊効果が強いユニーク武具がいいかなと思っています。 具体的には、クリス。ナイフ、暗銀の盾・審判者の盾・燐光のポールこの辺を強化するのがお勧めですね。それぞれ、魔法攻撃UP、魔法防御UP、HP回復超特大、MP回復超特大になります。 火力面では、通常強化や叩き潰す系、祝福や月光派生など通常武器を強化した方が数値的には高いのとPC傾向MAXにした場合は、北のレガリアが圧倒的なので色のないデモンズソウルを、火力目的で強化に回すのはちょっと微妙。数が少なすぎるからねぇ・・・。余ったらでいいと思います。 ちなみに、暗銀の盾は魔法防御が跳ね上がりますが代わりに魔法攻撃力が激減するので、魔法使う際は暗銀の盾は外した方がいいです。クリス・ナイフの真逆になります。魔法防御力だけ上げたい場合は、ルーンシールドの方がいいですね。 火力を追求して、クリス・ナイフとチョココロネという人も多いですがその代わり魔法防御が激減しているので、祝福武器などでも大ダメージです。ラトリアのエリア3では、この組み合わせでやってくる人も多いのでチョココロネ手に入らないという方は、魔法防御を上げつつ祝福系など魔法属性の付いた武器で攻めるのも手ですね。月光剣やイスタレルでもいいでしょうか。 ガル戦です。今回は、これも見た目無理だろ普通・・・。っていうパリングダガーからの、エペ・ラピエル致命の一撃を楽しむ。 +5にしてありますけど、ぶっちゃけ愛がないときつい武器。ただ、致命の一撃はかなりのものなのでガル戦でもかなりのダメージが出てくれています。ダークソウルのように、致命パラメーターがないんですけどもレイピアなどは、致命の一撃でダメージが跳ね上がるので隠しで倍率はありそうですけどね。 はい、斃れました。そして、あなたのデモンズソウルで最後の魔法を作りたい。 さあ、魔法コンプです。最後は死の霧。 毒の霧だと5ずつ。死の霧だと6ずつ。 なんて強力!! でも、これはそれぞれで重ねていけるので同時に使うことで、スリップダメージ11ずつというかなり凶悪なものに。ただ、あまりにも強かったのでPS3版では途中で死の霧@ボスはダメになりました。 でも、黒ファントムには効果があります。ということで、苦戦必至である最白登場の黒ファントムガルに使います。 ガルは、生身には通用しないのですが、黒ファントムだと通用する。 ごりごり削れます。これが非常に強いんですよね。 なお、ここの疫病になる沼地も、水濡れの指輪の効果があります。モンスターみたいのは、ある程度の移動範囲があるのですが倒してしまえば無限湧きするわけじゃないので丁寧に排除していけば、邪魔されることも減ります。 広範囲にたくさんいるので、無限湧きしているように錯覚しているだけで実際はちゃんと枯らすことも可能です。ここでも神の怒りは便利ですね。 セレンからも指輪をもらったので、フラクチャードモード。先ほどの場所から降りて、壁にある中腹みたいな場所に降ります。 そうすると、箱があるので壊すと ここにありました。陶貨。こんなのよう見つけるよほんとに・・・。 続けて、ラトリアに。最白なので、エリア2で鍵をゲットしてライデルを救助します。ユルトは今はいいや。 ここも密集地帯。そして地形無視なので根こそぎ神の怒りぶっぱで倒す。気持ちいい・・・。 ライデル救助。それにしても、ライデルの左手に持ってるのはなんでしょうねこれ?セメントとか塗るやつ?? マンイーターは、最白PC傾向ニュートラルなので2匹目来るまでに1匹目を倒すことも十分できます。火の玉をスタート付近の通路で投げまくる。 突進と魔法ブレスが主なのですが、直線的に移動することが多いので火の玉投げまくると結構な勢いで削れます。 1匹さえ倒せばこっちのものですが倒した直後はもう1体が一時的にパワーアップするので中央のキャンプファイヤーを壁にして、時間を稼ぐといいですね。

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考えてみると,私の日常の中で 「綿 (わた) 」 が縁遠いものになってしまっています。 私が子どもの頃 (昭和 20 ~ 30 年代) は,夜具としての布団にしても,座蒲団にしても,また褞袍 (どてら) などの防寒着など,中に綿 (わた) を詰めたものが身の回りに普通にありました。 生活が洋式化してきて,ベッドとかソファなどを使うようになって,布団や座蒲団が日常から消えました。防寒着も,ジャンパーやダウンジャケットなどが主流になりましたから,今, 「綿」 という漢字も, 「わた」 と読むよりは 「めん」 と読むことの方が多くなりました。 子どもの頃, 「わた」 と 「まわた」 という 2 つの 「わた」 がありました。 「綿」 と 「真綿」 という漢字も知っていましたから, 「真綿」 の方は 「真」 がついているから,普通の

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ラッピングで使うマチ付き袋。 今までは購入していました。 だけど、自分でいろいろ作れるようになったり、 ラッピング材料が在庫として眠っていたりするので、 今回は自作してみました。 今回は初めて自分で紙から袋を作ったのですが、 紙ではなくワックスペーパー。 作り方は紙のものと同じようなんですが、 ワックスペーパーは糊では付かないので、 マスキングテープに活躍してもらいました。 ———————————————————— ① 2枚のワックスペーパーを マスキングテープで 両端をくるむように 貼りました。 これで2枚の紙が 筒状の形に。 マスキングテープが マチの真ん中にくるのです。 ② 筒状になった紙を 下の方(底になる部分)で 折り上げます。 幅は マチの幅+5mmくらい。 ③ 折った部分を 写真のように開きます。 ④ 矢印のある線よりも (ちょうど紙を貼り合わせた部分) 5mmほどはみ出すように 折り曲げます。 (分かりやすく点線で  はみ出した部分を  強調してみました) ⑤ 反対側も同じように 矢印の線よりも

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現在ペポニで、ヒルヤモリがやったら安いとこないだ書いた。 が、いくら生体が安くても、ケージやらレイアウトやらを考えていくと、結局金はかかる。ただでさえ金無いのに。 で、おそらく一番金がかかるのは飼育用のケージ。これからの季節の保温を考えると、既にある温室に入れるのが安上がり。たぶんヒルヤモリなら、グラステラリウムナノで飼えるが、もう温室内は容量がカツカツ。安いところで買っても4,000円はするし。 温室内にすっぽり入るであろうペポニのアクリルケージも4,800円。お金に余裕があるときなら良いが、今はちょっと・・・ と、自分用の言い訳もできたところで、かねてから興味のあったアクリルケージの自作を敢行した。 というわけでご紹介していくわけなんですが、なんつーか思ってたより意外と簡単で、本当にネットで調べたことをそのままやっていけばあっさり作れてしまう、という印象。(もちろん不器用な俺のこと、あちこち粗はあるわけだが) それにモノが透明なので、写真が撮りづらい。何を撮ったのか自分でもよくわからなくなってくる。まああとから自分でも思い返せるように、考えながらまとめていきましょう。 なにはともあれ必要なのは、アクリル板。 ホームセンターで買うとクソ高いので、ネットの通販を利用。今回使用したのは2mm厚の910×910で1,900円。送料その他で+880円で、総額2,780円。2カット無料のサービス付き。ここでまず、第1の失敗。 今回作ったケージのサイズが200x350x450という変則サイズなのだが、この大きさになると、2mm厚じゃあちょっと強度に不安が残る。 練習がてらだし、そんなに大きい生体を飼うつもりは無いしでケチったんだが、無難に3mm(2,900円)にしておけばよかった。実はいまこれを書いている時点でまだ8割程度しか完成していないが、明日にでも接着面に補強を入れる予定。 で、無料の2カットをお願いして、4枚で納品されたアクリル板。両面にまだ保護シートが貼ってあるので、ここに図面を描き出す。 予め設計図を書いておくと、あとから寸法で迷わずに済んで楽。ちゃんと板の厚さも考慮に入れて設計すること。 で、引いた線に沿って専用のカッターで切断していく。切り方はちょっとググればわかるので割愛。 切ったら、どれがどのパーツかわかるように付箋でも貼っておくと良い。つーか今回は切り終えたらシートを剥がしちゃったんだが、剥がさないでシートに書き込んだほうが良いかも。 で、必要なサイズと枚数を切り出したら接着していくんだが、基本一人で作業しているので、作業中の写真は撮れない。これもぶっちゃけググったほうがわかりやすいです。 基本はセロハンテープで固定→接着面に接着剤を注入して数分放置の流れ。俺はよそのブログで読んで注射器を別途購入、使用したが、接着剤にも注入器は付いているので、器用な人なら無くても良いかも。上の写真は、左上の大きな箱で安定させて、乾くのを待っている間。 ↓が使用したアクリル用の接着剤。 で、何度か繰り返して、4面分繋げたのが↓ あとはケージ前面とフタなんだが、とりあえずフタはメンテナンス時に取り外せるようにしたいのと、通気口が必要。取り外しできるフタを用意し、通気孔を開ける。 シートに穴を開ける場所をマーキング。 穴あけはアクリル専用のビットを使用。これは電動ドリルではなく、インパクトドライバー対応だったので、会社の機材を借りた。 さて、2つ目の失敗。 アクリル板の下には当然台木を当てていたんだが、穴を開け続けているうちに削りカスが下に入り込み、アクリル板が浮いてしまっていた。それを無視して穴あけをしていたら、開けた穴から亀裂が・・・ まあ無視できるレベルと判断したので、このまま使用。もともと俺の工作レベルなんてこんなもんだ。 このフタの取り外しが容易にできるよう、アクリルの切れ端でケージ本体にレールを付ける。 多少隙間があっても逃げられないように、ちゃんとしたフタもつける。 これで前面パネル以外は完成。スライド蓋が取り外ししやすいように、余った端材で取っ手もくっつけた。 前面パネルはまだ色々考え中。通気穴は欲しいし、メンテナンスハッチも付けたい。通気用にアルミパンチ使うかなー、など悩み中。 とりあえず今日はここまで。 温室に並べてみた。 透明で存在感がないので、なんの感動もありませんでしたとさ。

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第二次世界大戦中、真珠湾攻撃の数年後。日本はアジア全域に支配を広げ、ボルネオ島にも基地を築いている。そこからは日本が戦争に使う多くの資源が輸出されていた。 ボルネオ島は、日本軍がくるまでイギリスとオランダの統治下にあり、宣教師が送り込まれ、ある程度の部族はキリスト教徒に改宗していた。そのためアメリカ兵をはじめとする連合軍に対し好意的。宣教師たちを拷問して殺した日本兵を憎んでいる。 現地のダヤク族たちが、島に不時着した若きアメリカ兵たちをかくまったのは、そうした経緯から。やがてイギリス軍がある作戦を実行に移し、民俗学者を現地に送り込む。学者と兵士たちが接触し、現地民を巻き込んだゲリラ戦が始まった。戦いの中、イギリス兵ハリソンは、宣教師たちがやめさせていた首刈りの習慣を復活させ、日本兵の首を狩るごとに賞金を与えるという方法をとるようになる…… **************************** というわけで、終戦記念日が近くなってきたのでナショジオの世界大戦特集が始まりました。こちらが、ナショジオ番組サイトの番組紹介 「日本軍への残虐な戦犯」http://www.ngcjapan.com/tv/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/473 1945年、全世界で戦争が行われていた頃、驚くべきドラマが人里離れたボルネオ島のジャングルで展開されていた。 関わったのはアメリカ空軍の兵士たち、現地のダヤクの人々、そしてイギリス陸軍のトム・ハリソン少佐だ。それは、米軍戦闘機が、隔絶されたボルネオ島の内陸に墜落したことから始まった。そこにはまだ、吹き矢と樹皮から採取した毒で狩猟を行う部族民たちが存在したのだ。 空軍兵は、密集した厳しい環境のジャングルで数か月にわたり生き延びなければならず、ダヤクの人々は空軍兵を守るために自らの命を危険にさらす。そしてハリソン少佐は軍事行動の中で、ダヤクの古い慣習である首を狩る行為を、日本の兵士に対して復活させる。人類学者で幻想の中に生きるハリソンは、多くの人々が戦争犯罪とみなす行為を行ったが、イギリスへの帰国時には英雄として栄誉を授けられる。 この番組紹介を見たとき、いやいやそんな日本人に見せるからって配慮した紹介しなくていーよと思った。だって番組の原題が「Headhunters of WWⅡ」なんだもん(笑) 内容的に間違ってはいないけど、配慮しすぎ。 あらすじ的には、 卑劣で残虐な日本軍の占領地を解放し、祖国に生還するための若くてハンサムなアメリカ軍兵士たちの密林ゲリラ戦の日々を描くノンフィクションドキュメンタリー映画 ですよ。イギリス兵とオランダ兵が救出に行く「プライベート・ライアン」みたいな…。 最初に言っとくなら、戦争に正義も悪も無いわけで、どっちも言い分があるけど話し合いじゃ解決しないから殴り合いになると私は思ってる。日本は自分の国ではあるが、第二次世界大戦において日本だけが正義・被害者ではない。ただ、悪でもない。戦争はおきるべくして起きた。最良ではなかったにせよ、あの当時ではそれ以外の選択肢は無かったし、歴史をまき戻しても、人類はもう一度同じ選択、あるいはもっと悪い選択をするかもしれない。 敵国として戦争に参加して、実際に日本軍兵士に命狙われてた前線兵士が、日本兵に好意なんてもつわけがない。自分だって命狙われたら、そら敵を殺してでも生き残ろうとするわ。 --と、それを分かってて見たわけだけど、思いのほかキツかった。何がキツかったかって、 再現VTRじゃなくて当時の実映像なんだよ、これが…。 ↓残虐とされる日本兵(ただのおいちゃんに見える)の図。このおいちゃんが、のちに干し首にされて旗ざおに吊り下げられると思ってください。 連合軍兵士はみんな、日本兵は残虐だ!! と吹き込まれて、証拠写真握らされて教育されてたみたいですね。日本側も「鬼畜米英」とか言ってたくらいなんで、どっちもどっちっつーか。国民のヘイト煽るのは、どこの国のエライ人も同じということで。 ダヤクの社会に孤立してしまったアメリカ兵たちと、送り込まれたイギリス人兵士がやったことも、現地民の、日本兵に対するヘイトを煽る作戦でした。 日本兵がダヤク族の土地や食料を奪ったり、女を虐待したという話が出てましたが、宣教(洗脳)してたアメリカ人宣教師のほうがやり方がうまかっただけで、ぶっちゃけ、どっちも土着民から搾取する気満々なのは同じ。運が悪ければボルネオ島も枯葉剤撒かれてたかもしれないんだけど、現地の人の感情としては、日本兵大嫌い! なんですね。日本兵追い出すのに利用されたとは思っていない。 戦争ってのは、既存のルール、道徳観、その人の持つ人間性といった、あらゆる枠組みを壊してしまう世界。マイホームパパが戦場に立ったとたん残虐な殺戮兵器になることだってある。その意味では、ボルネオ島に行った日本兵が特別残虐だったわけじゃないだろうし、住人を煽って日本兵の首を狩らせて飾るなんてことをやらかした兵士ハリソンさんがイカれてたわけでもない。ただ、「戦争ってのはそういうもんだ」と。 帰国したハリソンは英雄となり、匿ってくれ、多くの日本兵の首を狩ってくれたボルネオ島の「未開人」たちを今も尊敬していると語る。自分の行為に悪はない。当時首刈りに参加したボルネオの人々の声もある。日本兵は嫌い。今でも宣教師たちのことを思い出す。でもそこに、狩られた日本兵側の視点がないのが、いささか残念だった。 首刈りから生き残った日本兵は何を思ってたのかな。最後にちょこっとでも、そこまで入れられれば、番組としては完璧だったかも。ただ、日本兵は残虐だったと言いながら、その日本兵をいかに残虐に「やっつけた」か目を輝かせながら熱っぽく語るハリソンさんや途中に出てくる学者の人の不気味さなんかは、よく撮れてたと思います。はい。 まあ自分も、同じ立場だったら生き残るために日本兵攻撃してたとは思いますけど。首狩って連合国旗の上に飾るまでやっちゃうかどうかは微妙だ。 悪気はないんだろうけど、出てくる学者や元兵士たちが、ボルネオの人々を「未開人」とか「原住民」とかナチュラルに呼んで完全に見下しモードなのも実にリアルでよかったです。結局、お互い都合のよい手ごまになってくれたってだけで、友情関係が結べたというわけではないのよね。 では最後に、番組のひとコマとして衝撃映像(ややグロ)おいときます。クリックして拡大は自己責任で。グロ苦手な人は回れ右で。 古代の戦争なんかもっとグロかったんだろうとは思うけどね。やっぱり実映像は別格。 この番組のよく出来ているところは、イケメン兵士が主人公でハリウッド映画ばりの「敵地からの大脱出、解放のためのゲリラ戦!」を撮ったように見せかけて、戦争の空しさ、人間の残酷さ、正義の脆さなんかをザクザク目の前に突きつけてくるところ。これを見て「日本兵はひどいやつら、解放軍アメリカ・イギリス・オランダ万歳!」っていう感想を持つ人がいたら、絶望的な理解力だと思う。 ※もちろん日本兵 ※旗ざおにつるされてる丸いのが首、手前は竹で作った滑走路 これが誰かのお爺ちゃんやお父さんだったり、ご親戚の方だったりするかもしれないんだよね…。

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台所の設備も近代化してきて,電化も進んでいます。しかし,不思議なことに,台所用品の 「やかん」 は案外昔のままです。少なくとも,私が子どもの頃 (昭和 20 年代) と現在とで, 「やかん」 はそんなに変わっていません。 今は,家庭の台所でも,蛇口から温かい湯が出るようなシステムになってはいますが,お茶の葉を入れた急須に,直に蛇口からの湯を注ぐことはまずないでしょう。 やはり飲むための湯は,今でも 「やかん」 で沸かすのが普通だと思います。 でも, 「やかん」 の本来の用途は,そういう 〈飲むための湯を沸かす〉 ことではなかったのです。 「やかん」 は 「薬罐」 と書きました。 要するに 〈煎じ薬を煮だす〉 ための深鍋だったのです。 それを知って, “あ,そうだったのか” と思いだしました。 私がまだ小学生の頃,父がちょっと小さめの 「やかん」 で何かを煮ていることがよくありました。何かちょっと異様な臭いがして,子どもとしてはあまり好きになれない臭いでした。 「何を煮てるの?」 と母に聞いたら 「薬だよ」 と教えられました。 その時は,それ以上,何の薬だとかは聞きませんでしたが,あれが 〈煎じ薬〉 だったのでしょう。 「薬罐」 は,もともとは

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土曜日は昼過ぎに西宮駅でオーサコくんとヒラオくんと待ち合わせしたら、東京から着いたばかりの平川克美さんとほぼハジメマシテのアゲイン石川さんとも偶然ばったり。 嬉しい日の、嬉しい偶然。 考えてみれば、人生の時間のほとんどは偶然が結びつけてくれている。 14時からは昨年から何度も通った神戸女学院のこれまた見慣れたはずのソールチャペル。 なのに、ぎっしりと埋まったチャペルで祝福を受けるお二人と、チャプレンである司会の飯先生と、ご列席の方々の後姿が視界いっぱいに広がり、賛美歌やパイプオルガンに心を委ねていると、なんだかそこは初めての空間に思えてたぶん、やっぱり、初めての空間だったのだと思う。 内田樹先生と、能楽師 大倉流小鼓方・高橋奈王子さんのお式はソールチャペルいっぱいに、いや溢れだしさえしていた祝福に包まれての、とても感激の時間だった。 素晴らしいお式だった。 明るい日差しのもと集合写真を撮っていただいた中庭も、あたしの見慣れた光景ではなくやっぱり初めて目にした女学院の風景。 何度もお目に掛かっているはずの女学院の先生方の表情も柔らかくてやっぱり初めての気がした。 ウェディングドレス姿の高橋奈王子さん、真っ白な百合の花みたいに美しく咲いていた。写真家の平野愛さんに見せてあげたかったくらい。たぶん、彼女も震えたと思う。 夜はオークラ神戸の平安の間で披露宴。 後から何人もの方と意見を同じくしたのだが、普段はもっとも「はよ終わらせんかい!」と毒を吐きそうになる「披露宴のスピーチ」が、誰も彼も面白すぎて、深くて、温かい。 その人ならではの言葉しか出てこない祝辞の連打。 森永一衣さんと斉藤言子先生のなんとも豪華なソプラノのデュエットも美しすぎた。 新婦の側のお能関係の皆さまによる「四海波」にもただただ唸る。 司会も、よくあるコンビニの店員さんみたいなマニュアル通りの感動押し売り女司会者ではなく、タニグチさんの背筋の伸びた力強く優しい声で披露宴は気持ちよく進行。 鷲田清一先生も新郎新婦と関係なくこんなにみんながあちこち動き回る披露宴もちょっとないと祝辞で述べられていたが、なんだか立食パーティのようにあちらこちらで立ち話、ハジメマシテやーやーどうも。 新郎新婦が会場を回る間、列席者たちも会場をぐるぐる回る。 内田樹先生と高橋奈王子さんのお人柄が、鷲田先生のおっしゃるとおり披露宴会場にええ「顔」として溢れていた。 あたしも、久しぶりの顔にも会えたし、会うのは初めてだけど、なんだかそんな感じしませんねのお顔も多々。とにかく、あたしには大切なお顔も連打。全員に挨拶できずに会釈だけの方もたくさんでいやはや贅沢すぎるというか巻き戻しして一時停止したかった。 そんな中でも、三宅先生の優しくてまあるいお顔にもお久しぶりに会えて、いつものことだけど、お顔だけでも体も心も気持ちよくなる。 勝手に「おっさん」だとなぜか信じていた文春の山ちゃんが「青年」だったことにも驚いたが、(おばはんのあたしから見たら、だけど)生・高橋源一郎さんの姿にもイスからずり落ちそうになる。図々しく挨拶させていただき、「…好きです」と愛の告白をしそうになるのを我慢して「ファンです」と正しく名乗る。高橋さんの娘さんの橋本麻里さんとも一緒にお写真撮っていただく。ゆみこ、感激。 披露宴後にも、わいわいとローハイド。ちょっと落ち着いてサードロウへと流れた時間だが、ここにいる誰もが内田樹先生により結ばれてるんだなと改めて我に返ったりと、不思議な感動。 チャペルのお式もホテルの披露宴も余計なものは何もなくて、お二人が受ける祝福をお裾分け(大盤振る舞いで)いただくような本当に良い一日でした。そして、たぶん、あたしは一日舞い上がってました。いや、なんだか嬉しすぎて。 お二人には、そんなお席に招いていただた御礼とともに末永いお幸せをお祈りいたしまして心よりお祝いを申し上げます。

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